外湯をめぐる冒険

 外湯めぐりが目的だったのでのちの予定など皆無に等しかったが、前日までに八か所の外湯を無事めぐることができ、二日目はゆっくり起床した。早朝に外湯入ると熱すぎて入れないんじゃないかという危惧が自分を焦らせた節はある。起きてみれば前日の酒が残っているのも否めず、結果オーライではないか。こういう旅館でまったりするのが今回の主目的だ。ちょうどいい。
 前日入浴したものの、ほとんど記憶になかった旅館の大浴場を訪問。この金喜ホテルには地下の大浴場と一階の貸切浴場があり、基本的にいつでも入浴可能、貸切風呂は使いたいときに中から鍵をかければ家族風呂としての利用もOKという単純かつ明快なシステムだ。

 ひとまず地下大浴場の方へ潜入。決して広い大浴場ではないが、このようなこぢんまりとした旅館なら十分な広さと言えるだろう。渋温泉は旅館の風呂に何度も入浴するような温泉地ではなく、外湯にいくらでも入ることができるのが魅力なので、内湯は最低限整っていれば問題ない。
 草津温泉など日本の代表的な温泉地に行けば外湯がずらりと並んでいる。そもそも、伝統的にかつては温泉旅館に宿泊者用の浴室(=内湯)は存在せず、人々は温泉旅館に素泊まりして町の共同浴場(=外湯)に通うのが一般的であった。温泉の配管技術がさほど発達していなかったため、各旅館へ温泉をひくのが困難な時代があった。
 時代が下ると各旅館へ温泉が行きわたるようになる。全国で初となる温泉計画都市といえば群馬県伊香保温泉である。以前ブログに書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/kikuties/20090726参照)、この街は最奥の源泉から石畳の階段を下へと作り、階段の両脇に温泉宿を配し、源泉の配管を階段とともに上から下へと通すことによって、各温泉旅館へ温泉を配給することを可能としたのである。温泉街を訪れる人々は外湯から内湯へと入浴場所を変えていった。
 今では地下数千メートルまで掘削を行い、都心でも温泉を湧出することが容易くなり、わざわざ遠出して温泉街へ赴かなくてもそれなりに良質の湯に浸かることができる。自分もいわゆる温泉銭湯や温泉スーパー銭湯へ出かけることは多い。もっぱら観光客が温泉地を訪れたなら、足を運ぶのは内湯の方だろう。外湯は現在、地元住民が入ることを目的として維持管理されている。共同浴場に入り放題の温泉地もあれば完全に地元住民しか入れない温泉地もあり、外湯の扱いは各温泉地によって色濃く差が出る。草津温泉は外部者でもわりと入浴がたやすいが、一般観光客の立ち入りを禁止する時間帯を設けるなどの対策に出ている。それはなぜか。地元住民と観光客との争いが絶えないからだ。
 地元住民は源泉の良さを第一に考え、浴槽を水でうめる観光客を排除しようとし、新聞の投書欄などで物議を醸したのが福島の飯坂温泉である。飯坂といえば僕の地元の温泉街だが、昭和の栄光に比べて現在の零落ぶりが著しく、駅前の温泉旅館はほぼ廃墟という状態である。あれだけ有名だった飯坂温泉をここまで不人気にしたのは、外湯における地元住民と観光客の対立構造が一因だと論じた温泉ファンのサイトもあった。確かにそれは一理あると感じた。以前天王寺穴原湯を訪れたことがあったが、熱すぎて入っていられなかったのだ。共同浴場の壁には「最近、外湯めぐりを楽しむ観光客が増えています。観光客が入ってきたら、浴槽に水を入れてあげましょう」みたいな張り紙があった。46度以上のお湯は入れないというかもはや体にも良くないので、日常的にそれを利用している人々と観光客の間に溝ができてしまうのは避けられないのかもしれない。最近では、対策のひとつとして飯坂温泉駅前に新しい共同浴場を作り、こちらは浴槽によって温度を変えて観光客でも入れるようにしている。
 渋温泉は宿泊客を一日間だけ住民として受け入れ、特別に外湯をすべて回れる鍵を貸すというスタンスである。もちろん、観光客に対して水を入れっぱなしにすることを禁止する張り紙はあるものの、渋温泉の源泉は熱いことが特徴であり、火傷防止のため水を入れることは推奨されていたし、昨晩の土産物屋のおばちゃんも水を入れないと入れないと言っていたので、その点はまあ新聞で地元住民との対立が描かれ、観光協会が対策に乗り出した飯坂よりはうまくやっているのかもしれない。僕が以前、草津や飯坂などを訪れた際は地元住民の水でうめまいとする態度があまり気に食わず、観光として発展させるのであれば観光客に優しくするべきだと考えていたのだが、いろいろ温泉街を回ってみると、そんなに単純な問題でもない気がしてきたのだ。外湯の伝統を守るというのも一つの使命であろう。
 ただし、草津ほど有名な温泉地になってしまうと、やはりマナーの悪い客も多く、最近では盗難も頻発しているのだとか。共同浴場で暴れたり、物を盗んだりするのは言語道断である。お湯の温度問題はどのラインでお互い妥協するか難しい問題だが、観光客のマナー低下によって共同浴場の扉を閉ざしてしまう温泉地が増えているのは実に悲しいことだ。
 渋温泉の「宿泊者一日だけ地元住民」というスタンスはまあひとつの冴えたやりかたかもしれない。わざわざ宿泊までしてきた人が物を盗むのはちょっと考えにくいし、ある程度人口を抑えられるので外湯も混雑することがない。まあ、最近では人が少なすぎてお湯が熱くなるという問題もあるのだが……。

 ホテル金喜の大浴場の扉を開くとかぐわしい木のにおいが漂ってきた。お湯は無色透明だが良く見るとちゃんと湯の華が舞っていてなかなかの泉質である。これはいい。

 貸切風呂の方は豪華な檜風呂で、茶色の湯の華が舞っている。大浴場とは異なる泉質らしく、すこぶる気持ちがいい。朝に入浴したら窓が開けっ放しになっていて、すぐ裏手の通りが丸見えだった。後からホテルの裏手通りを通って下を確認したら誰もいない貸切風呂が丸見えだった。このあたりも非常におおらかである。