思い出の地、秋葉原

http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
桃井はるこさんのブログ。あまりにも話題になっていたので読んでみたところ、ぐっと目頭にくるものがありました。これが真実なのでしょう。
マスコミは今回の事件についてもしょうもない真相究明ばかりしています。警察の取り締まり方も本当に間違っています。刃物なんて些末な問題だし、歩行者天国を禁止にする必要なんてまるでない。事件の表層的な部分をすくい取って、それをなんとか規制して事件の再発防止に役立てようとしても、それは何の役にも立ってないのです。
 犯人のオタク性を揶揄する人までいます。実にしょうもないです。
 自分も秋葉原は昔から好きでした。かつては交通博物館が存在し、子供の頃からしょっちゅう通ったのです。今でも展示物をかなり鮮明に記憶しています。大宮に鉄道博物館が移り、そちらもそちらで非常に楽しかったですが、自分の幼年期、あそこで過ごした思い出はきっと忘れないでしょう。
 高校の頃から様々なサブカルに手を出すようになりました。秋葉原は貴重な文化の発信地でした。最初のうちは店に出入りすることさえ戸惑いましたが、今では休日の買い物といえば秋葉原です。良くも悪くも、秋葉原は若者達のたまり場なのです。「オタク」は始終家に引きこもってウダウダしているというイメージが強いですが、それだけがオタクの一面ではないんです。竹の子族に源流を辿れるかは微妙ですが、みんなで集まって楽しいことをしたがるのは若者の常で、そう言う意味ではオタクもやっぱり人間なんです。僕はコスプレして踊ったり町中で歌ったりするような人種ではありませんが、そのような人々を危険だと見なして取り締まる警察の方がおかしいと常日頃から考えていました。
http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610
 殺傷事件の犯人が持つ心理は、現代を生きる日本人自体にある問題でしょう。雇用制度が問題だと言う人がいます。新人を雇っては切り捨てる、終身雇用を忘れてしまった日本で「ツナギがなくなっていた」というのは、象徴的な意味において本当にショッキングだったのかもしれません。
 要は、自己反省するのではなく、犯罪者をいかれた人物として捉え、周辺事項もまとめて、自分の住む社会から隔離された、異端な人として、いわばスケープゴートにすることによって、自分は正常だと考え、この事件を異常だと扱っているのでしょう。人間であれば必ず正常だということはないですし、この事件も異常すぎるほど異常ではありません。
 繰り返しますが、歩行者天国やナイフの販売を禁止することに、犯罪抑止の意味は全くありません。禁止されればされるほど欲求が高まるのが人間なのだということに、どうして気が付かないのか不思議でしょうがないです。
 そして、思い出の地をわずか一人のどうしようもない人によって汚され、おまけにオタクだからと揶揄され、不快で悲しい思いをしている人が何人もいるはずです。このままでは、更に人々が孤立感を深めて行くだけです。
 田中ロミオ氏の傑作、CROSS†CHANNELにもあったように、人間はどこかで繋がりを求めています。それがどういう形態であれ、それが明らかに犯罪味を帯びていない限り、取り締まるのは間違っています。人間が、人間として当然のことをやっていけるような社会から日本はどんどん遠ざかっているようです。この事件において、間違っているのは犯人ただ一人だけではないことを、よく考えてみる必要があると思います。
 そして、桃井はるこさん自身、数々のオタクと呼ばれる人々、さらに自分が育ってきた秋葉原を取り返しましょう。