奥秩父へ

 自分は人間として根本的なことができないんじゃないかと悟り、そもそも(ヒトではなく)人間の定義って何なのか良く分からないけれども、学祭が終わって全部抜けきったことも相俟って、ひどく憂鬱な状態に陥っていたのだけれども、今一度自分を見つめなおしたいと思って山奥の神社へひっそりと行くことにした。三峯神社という霊峰である。今回はパレオ君も連れて行かなかった。自分ひとりの旅行。

○ ○ ○

 金曜日は飲み会でビールと芋焼酎とあんず酒とウィスキーと柚子梅酒を飲んで夜中1時頃に帰宅。K林さんのJK話が素晴らしかった。また彼と一緒に飲みたい。
 そして今朝6時起床、池袋駅8時4分発の快速急行で終点の三峰口まで。我ながらハードスケジュールだと思うけど、そもそもタフじゃないと良い旅行なんてできないと思っている。松尾芭蕉は旅を人生に喩え、折口信夫は自らを見つめなおす苦行と捉えた。昔と違って公共交通機関を大いに利用するものの、自分における旅行の位置づけもそれに近い。
 終点に到着し、バス停留所を見て度肝を抜かれた。なんと、富士重工の車両しか導入されていなかった西武観光バスエルガミオが入っているではないか。通常の配色ではなく、淡いクリーム色に秩父の観光行事なんかをイラストであしらった可愛らしいもの。ちなみにメロディーバスの機能も有していて、7Eと同様スピーカーから走行中は常に音楽が流れるようになっている。
 宮平バス停が分岐点となり、三峰神社行き・秩父湖行きのバスは左折し、自分が乗車中の中津川行きは右折する。中津川行きのバスは一日四本、このエルガミオが一日中あくせくと四往復しているようだ。
 しばらく進むとこの路線最大のハイライトが待っていた。正式名称は雷電木橋だが、いわゆるループ橋で、これを通過することにより一気に滝沢ダムを越えていく。狭い道がぐぅぅっと一周していて、まさに360度のパノラマ絶景が楽しめる。乗客は自分を含めて4人だったが、「すげぇ」「おぉ」という感嘆が聞こえてきた。普段から楽しんでいる都営バスの虹01系統(レインボーブリッジを通過)なんて足元にも及ばない絶景。しかし、ここから落ちたらひとたまりもないだろうな。
 あっという間にダムの上。
 その後はわりと普通の山道を走行。西武観光バスの名物路線、志賀坂線(小鹿野−坂本)に比べればまだ道路は整備されていて、バスもちゃんと走っている。スピードがあまり出ないのはエルガミオの馬力のせいだろう。
 道路は川沿いを走行していて、川には色とりどりの落ち葉が堆く積みあがっている。もうちょっと来るのが早ければ紅葉を楽しめたかもしれない。ここ、中津峡は紅葉の見所であるらしい。
 終点に到達する手前でやや道が狭くなったが、密林の中へ突き進んだわけではなく、むしろちょっとした部落の真ん中を走行するという感じだった。こんなところに人がわりと住んでいるのが驚きだが、夏はオートキャンプ場としてそれなりに流行るらしい。
 終点の中津川に到着。坂本ほどの絶望感はなく、むしろ森林科学館という埼玉県の施設が併設されていて、ちょっとぶらつくにはもってこいの場所。ここなら3時間でも5時間でも滞在できそう。今日はスケジュールの都合上短時間のみの滞在だったが、次回は紅葉とセットで長居したい。

 バス停からちょっと歩き、階段を下りていくと小川がちょろちょろと流れている。頼りない木製の橋を渡っていくと、木組みの遊歩道がずっと続いていて、ものすごい数の落ち葉で地面が埋まっている。小枝なんかが散乱している。これが自然に還って養分となり、周囲の木々がさらに育っていく。自然の繫がり。
 この間、「えぞまつ」という絵本を読んだ。下手に擬人化してそれなりに楽しませるつまらない絵本が多い近頃だが、この絵本はひたすら自然の描写に視点が置かれる。絵本だからと言って馬鹿にしてはならない、生命の営みや自然の尊さが分かる一冊だった。人知れず林立しているこの大木にもそんなロマンがあるのだということに思いを馳せてみる。六本木ヒルズなどよりも、ここに昔から生えている木たった一本の方がよほど価値があるのではなかろうか。

 天気は良く、空気は透き通っていて肌寒い。木漏れ日を浴びながら歩き、「龍神水」という飲み水を口に含んだ。注意書きに「生水なので煮沸してから云々」書いてあったけど気にしない方向で。水なのにめちゃくちゃ美味かった。
 その後、ぶらぶらと散策していたらバスの発車時刻となったのでバスに戻る。発車時刻の二分後に運転士は帽子を被り、発車準備をしてドアを閉めた。このルーズさも田舎ならでは。それでも渋滞がないからバスは定刻どおり走る。
 二つ先のバス停、先述した部落でオバちゃんズを3人ほど乗せ、バスは再び中津峡を通り、ループ橋を渡って宮平バス停にさしかかった。ここで降りた。

 自分がこのバス停で降りたのは、ここが秩父湖三峰神社方面へ行くバスの分岐点だからというだけの理由で、他に理由はない。先ほど通過したからわかっていたものの、案の定なにもない。怪しげな時計屋が一見営業しているだけで、あたりには何もなかった。そして秩父湖行きのバス停が来るまではあと40分くらいあった。

 ここで三峰口始発のバスについて解説したい。主幹路線となるのは秩父鉄道三峰口駅から秩父湖までを結ぶ通常の路線バス。これとほぼ同じ経路を通るのが三峯神社行きの急行バス。こちらの始発は西武秩父駅、三峰口を経由して路線バスと同じルートを辿るが、途中の大輪、秩父湖以外のバス停はすべて通過となる。そして秩父湖から先はフリー乗降区間となり、終点の三峯神社へ至る。そしてさらに三峰口発中津川行きのバスがここ宮平から分岐していくのである。

西武秩父

○○○三峰口
通||
過||
○○○大輪
通||
過||
通○○宮平−(ループ橋)−○中津川
過|
○○秩父湖

三峯神社

 つまり、中津川から三峯神社に行く場合、一度大輪まで戻って急行バスに乗るか、宮平と秩父湖で乗り換えをするか、どちらかをしなくてはならない。自分は後者を選択したという次第。
 秩父湖止まりのバスと急行バスはかなり接続良くダイヤが設定されていて、秩父湖バス停で6分ほど待てばお互い乗換えができるという神ダイヤになっているものの、さすがに中津川から三峯神社へ向かう客のことは想定されておらず、むしろ40分という時間は奇跡的に短いものだと考えた。
 さて、何をしようか。
 とりあえず近くの階段を降りていってみた。どんどん川の方へ降りていくと、急に道がなくなった。看板などを良く見ると、ここは魚釣りのための場所らしい。なんで坂道が途中で途切れるのか解せないが、それにしてもいい風景。ここで若干時間をつぶす。
 そして次のバス停まで移動することにした。
 幸いにも宮平の次のバス停はわりと近くだった。「三十場」と書いて「みそば」と読む。
 置き去りにされたような田舎の典型的な風景。素晴らしい。
 すぐ近くに雲の落ちこぼれみたいなのがぷかぷかと手を伸ばせば届きそうな位置に浮いていて、はるか上空では他の大勢の雲たちがハイスピードで移動していた。たまに青空が覗く。山の青空はまさしくコバルトブルー。
 しばらくの間、心を空っぽにしていた。こんなに贅沢な時間はなかった。三十場は素晴らしいバス停だった。
 ローカル線に乗って車窓を眺めるのもいいし、田舎のバスに乗って同様のことをするのもいいけど、やはり現地に降り立って経験するのとはぜんぜん違う。自分は「現地密着主義」の旅行を目指していて、これからもこういう機会をどんどん増やしていきたい。
 バスは定刻どおりにやってきた。40分なんてあっという間だった。
 まあ、「坂本」で2時間くらい滞在したから、当たり前と言えば当たり前か。

 自分が埼玉フリークになったのは確固たる理由がある。
 高校時代は三年間、神奈川県から埼玉県の高校へ通っていた。自然が多く、実にいい学校だったと我ながら思う。しかし、それと埼玉県崇拝とは直接関係しなかった。大学へ入ってもしばらくの間はどちらかというと埼玉県を馬鹿にするようなポジションを保った。
 しかし、ある日転機が訪れた。
 友人S氏と秩父へ旅行に出た。1泊2日の旅行で、彼が社会学を学ぶ上で「寂れている村を見学したい」という要望から、初日に自分は例の坂本を案内したのである。
 坂本は西武秩父から一度小鹿野でバスを乗り継がないとたどり着けない山奥で、国道299号が群馬県にさしかかる直前にある寂れた村落である。人が住んでいる気配はほとんどない。
 雪が積もっている日だった。すぐにこのバスに乗って戻らないと運転手に告げると怪訝な目で見られた。次のバスが来るのは2時間後。けれども、現地を歩かなければ意味がなかった。大学生二人を廃村に残し、バスは坂道を下っていった。
 正直、2時間はあっという間に過ぎた。廃村の姿は実に新鮮で、印象的だった。そこにあったのは現実だった。
 意識しなければならないのは次のことである。このような廃村はここ坂本だけではなく、全国各地に散らばっているということ。日本政府から完全に忘れ去られ、都心との交流はほとんどなく、人が住んでいる家よりも廃墟の方が圧倒的に多いけれども、それでも人はそこに住んでいるのだということ。

 その日は三峰口の近くにある旅館に宿泊し、翌日宝登山神社を参拝して、最後に波久礼にある温泉へ行った。露天風呂から秩父鉄道や寄居の自然が見えるとっておきの温泉である。
 ふと、一緒に入っていたおじさんと会話が始まった。かつて、この地にいた新井周三郎という英雄についての話に移行した。われわれは至極興味深くその話を聞いていた。
 寄居は山に囲まれた土地で、日当たりが悪いから米の栽培に適しておらず、作物が思うように育たない貧しい土地だった。納税の負担が重く、ついにその地方の住民の命をかけて立ち上がったのがかの有名な「秩父事件」である。新井周三郎はこの地区の先導者として、若いながらも非常に良く戦った。
 最後におじさんは自分で作ったという新井周三郎の歌を高らかに歌い始めた。我々は拍手をしながらそれを聞いていた。おじさんの話にものすごく感銘を受けていたのである。

 自分が埼玉フリークになったのはそこからだった。
 どうして、三年間も通って自己の精神に大きく影響を与えてた、あの自然豊かな土地を愛せずにいられるというのだろうか。

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 いつの間にか「三十場」バス停に秩父湖行きのバスが到着していた。
 今回の旅行、昼食を摂るような時間や場所がなかったため、昨日100円ショップで買った「かにぱん」を貪りながら移動した。終点の秩父湖まではあっという間だった。宮平から三十場まであるいたおかげで30円安くなった。
 急行三峯神社行きのバスが5分ほど後にやってくる。車内には参拝客と思しきオバちゃんズがそれなりに乗っていて、三峯ロープウェイはなくなってしまったものの、それなりに需要があることはわかった。
 バスは秩父湖を出ると、一車線のトンネルに入っていった。
 そして、トンネルを抜けるとそこはダムの真上だった。
 こちらは先ほどの大滝ダムとは異なり、二瀬ダムという名称。車窓右側に見える、エメラルドグリーンの水を湛えたのは秩父湖。そして左側は埼玉県に欠かすことのできないあの大河、荒川の上流なのである。はるかこの土地から下流へ流れ、秩父鉄道に沿い、熊谷から高崎線沿いに方向を変え、川越と大宮の中間あたりを経由、志木と浦和の中間にあたる秋ヶ瀬橋、戸田のボート場、北千住を大きく曲がって東京都墨田区江戸川区の境界となり、葛西臨海公園東京湾に注いでいる。
 今まで見てきた埼玉県の川辺の風景の根本を司る場所と考えると神秘的ではなかろうか。かつては赤羽に住んでいたから、荒川にはいろいろお世話になった。新幹線で荒川を渡る瞬間が好きだった。幼稚園の頃は荒川遊園(すぐ近くを流れるのは墨田川だが、荒川も近い)でしょっちゅう遊んでいた。志木高のマラソン大会は秋ヶ瀬公園の近くにある彩湖で行われた。熊谷を訪ねたときも集合時間より早く到着したのでしばらく荒川を見ていた。東北本線つくばエクスプレス常磐線伊勢崎線、都営新宿線などなど、荒川を渡るシーンが思い浮かぶ。いろんな思い出がここから始まっていた。

 ダムの上を走り終えると、バスは秩父湖の沿岸を走行し、それからひたすら「いろは坂」みたいな山道を登っていく。片側一車線の道路はいつの間にか一車線のみになり、何度も対向車とぶつかりそうになりながら見事なハンドルさばきで回避していった。志賀坂線に匹敵する難所。
 いつしか標高はぐんぐんあがり、周囲の木々も大人しくなってきた。そしてはるか前方に雪を被った山脈が見えてきた。バスの車窓に対して震え上がった。とてもデジタルカメラではこの絶景を撮りきれないので、目に焼き付けることにした。
 終点の三峯神社に到着。空気が冷たい。
 三峯神社日本武尊が「三峯山」と命名し、イザナキとイザナミを祀ったことに端を発する由緒正しい神社である。一度仏教色の強い神仏混交の信仰地となったが、明治維新になってノーマルな神社に戻っている。
 拝殿を中心に神社空間が広がっていて、興雲閣と呼ばれる宿泊施設では日帰り入浴ができたので行ってみた。ナトリウム−塩化物系のしょっぱいお湯で効能はよさそう。しかしこのロケーションなのに露天風呂がないのは勿体無い。景色が楽しめないのは残念だった。
 拝殿での参拝は済ませていたので、入浴後はそれ以外の施設をぶらついた。日本武神社が拝殿の近くにあり、いったん拝殿を離れて階段を登っていくと、日本武尊の大きい銅像が建っている。片手を伸ばして埼玉県を眼下に見下ろし、見守っているようである。

 海外だと一般的だが、日本だとなかなか神様の名前を自分の名前に使っているケースは多くない。自分はそんな珍しいケースに含まれるためかしょっちゅう名前を間違えられてあまりいい気はしないのだが、それでも日本武尊には親近感が沸く。
 温泉で火照った体を冷まし、次に向かったのが遥拝殿。一見すると単なる展望台のようで最初は気づかなかったが、良く見ると賽銭箱が備え付けられていて、人々は遥かかなたの山に向かい、手を合わせる。実は三峯神社の奥宮は妙法ケ岳と呼ばれる、今自分が立っている山とは別の山にある。
 賽銭箱の前に立つと、真正面にそれらしき山が見えた。これはすごい。
 最後に向かったのがふれあいトイレとビジターセンター。トイレは水が凍らないよう、点検ボタンと水が常に流れる仕組みが設備されている。ビジターセンターは秩父周辺の自然について総合的に扱っているミニ博物館で、かなり充実しているもののなんだかまったく掃除されていないようである。パタパタと扉を開いて中を見られる仕組みになっている展示物は汚れていて、ボタンを押すと音が流れるものは壊れていて音が出ない。大丈夫なのだろうか。

 そんなこんなで再びバスの中。帰りは睡魔に襲われつつも秩父湖に沈む夕日を激写し、秩父湖バス停で三峰口行きの各停バスに乗り換えた。これから向かう大滝温泉湯遊館は宮平と大輪の途中にあり、急行バスは止まらない。

 ちなみに秩父湖では川又方面へ向かう秩父鉄道バスとも接続が取れていて、西武観光バスの運転手と秩父鉄道バスの運転手が楽しげに談笑していた。なんだかすっごい楽しそう。
 大滝温泉湯遊館に到着した頃にはもう日が暮れていて、気温もすごく下がっていた。先ほど温泉に入ったばかりだが、もう一度来て正解だった。

 こちらは道の駅と一緒になっている施設で、地域住民憩いの場となっている。受付のおばちゃんがものすごい埼玉訛りでしゃべる人で、その他来場者の人も結構訛っていた。福島弁ほどひどくはないものの、こういう場所でも方言があるんだなあと痛感。
 館内は岩風呂とヒノキ風呂に分かれていて、脱衣所が上下二箇所あり、一度外へ出なくても裸のまま階段で上下できるという仕組み。岩風呂はこじんまりとした感じだったが、ヒノキ風呂は結構広く、大きな窓から荒川の流れが一望できた。泉質はすこぶる良く、こちらもナトリウム−塩化物系の弱アルカリ性温泉。
 ちなみに、こうして温泉を巡るようになったのも「地元密着主義」旅行を目指した故である。地元を文字通り肌で感じられるのが温泉である。
 温泉を出ると六時くらいで周囲は真っ暗。バス停に立ち尽くし、ひたすら三峰口行きのバスを待つ。目の前を高速で乗用車が通過していく。それ以外は静寂に包まれる。トトロでも出てきそうな雰囲気。
 ほどなくバスが現れ、三峰口まで向かった。中津川からやってきたエルガミオの最終バスだった。
 三峰口で青い元101系電車に乗車。ドアの閉まり方が怖い。
 御花畑から西武秩父駅まで歩き、駅前の「あそこ」というなんだか卑猥なそば屋で夕食を摂った。「秩父野菜そば」が100円引きだった。おばちゃんがかなりいい感じで、ポケットティッシュなんかも渡してくれた。柚子の入ったそばは美味かった。
 しかし店名「あそこ」もさることながら、暖簾に書かれていた「西武駅前店」という文言も気になった。西武の駅前ってどこだか特定できないじゃないか。これが秩父クオリティー
 小鹿野町のきくらげを買う。19時25分初のレッドアローに乗る。車内はハイキング客などで結構混んでいる。
 果たして自分自身を見つめなおすことはできたのだろうか。旅の目的は達成できたのだろうか。良く分からない。ここではっきり答えを出すような問題でもない気がする。また秩父に来ようと思った。ここは日本国民全員の擬似的故郷であり、桃源郷である。
 飯能で座席を回転させようと思っていたが、後ろの客が寝ていたのでそのまま後退する形となる。埼玉県の駅が次々と遠ざかっていく。
 所沢を過ぎると東京都に入る。これで埼玉県ともお別れ。それでも、東久留米や大泉学園の駅前では「ぎょうざの満洲」の看板が煌々と光っていて、毎日坂戸工場から送られてくる餃子を美味しそうに食べるサラリーマンがレッドアローの車内からも見られた。
 自分の生まれ故郷は福島であり、住んでいたのは東京と神奈川だが、埼玉県ほど親近感の湧く都道府県はない。大自然がまだ残っているし、高校三年間が自分にとってかなり重要な意味を孕んだというのも事実だ。都心から近く、日帰りで行けるのも魅力である。

 池袋に到着。副都心線のホームへ向かった。

 その後、餃子だけを食べるために千川まで行ってきたのは内緒にしておこう。