批判が続出している件について

 なかなか興味深い文学論争(?)が巻き起こってますね。
 結論から言うと、主催者の選定方法は正しく、再審査を要求する方が間違っていると僕は思います。

 そもそも、いかなる賞であっても主観は免れないということ。
 降臨賞は応募が殺到しました。おそらく、主催者の予想を超えていたことでしょう。それで「パッと目に付いて、記憶していたものを選出した」という判断基準でしたが、僕はまずまず納得の行く選定方法だったと思います。
 もちろん流麗な文体で構造が見事で作者が天才的である小説は評価には値しますが、現代においては「必ずしも質の高い作品ばかりが選ばれないこと」が特徴として挙げられます。

 予め指示された選考基準は「希少(と主催者が判断した)なもの」でした。この希少という語に拘って、実際に行われた選考方法はおかしいと批判する人がいるようですが、「いかに人目につく小説を書くか」というのもまた訓練すべき小説技法の一つです。選ばれた作品は実際に主催者の脳裏に焼き付いたという意味で希少だったのでしょう。

 Javascriptが特別賞に選ばれるなんておかしい、俺はまともに小説を書いたんだ! という批判も出てくるでしょう。しかし、Javascriptを使って女の子が舞い降りてくる様子を表現したものは確かに希少だったと言わざるを得ません。
 かつて18世紀中頃、イギリスのスターンという人物が「トリストラム・シャンディ」という小説を書きました。この小説はとんでもない小説で、途中に真っ黒なページがあったり、章がまるまる抜けていたり、意味不明な謎の図が挿入されていたりします。これでも立派な文学なのです。日本では岩波文庫から刊行され、おそらく世界中で読まれていることでしょう。21世紀の前衛小説の形がJavascriptであって、何が悪いというのでしょうか。むしろ時代相応ではないでしょうか。

 選出されなかった人は「自分の小説は主催者の脳裏に何らかの形で記憶を焼き付けることが出来なかったんだ」と真摯に受け止めるべきでしょう。もちろんこれを反省の材料にして次回作へのヒントにしてもいいですし、今回は運がなかったと諦めるのも手です。
 世の中には様々な文学賞があります。いくら構成がうまい小説を官能小説の賞に受かっても、エロくなければ採用されません。賞を募集するということは主催者の主観が全てであり、客観的に優れているからといって主催者の気に入らなければ賞を受ける資格はないのです。文学賞とは総じてそういうものです。

 インターネットの世界は情報に満ちあふれています。今回の賞において主催者の判断は正しかったと言わざるを得ないでしょう。落選したにもかかわらず、自分の書いた作品をまともに評価してくれなかったと激昂している方々は、ひとまず自分の小説をできるだけ客観的に見つめ直す必要があるでしょう。これは他人から見て希少性のあるものなのだろうか。そうして、書くレベルをあげていけばいいのです。自分もそうする所存であります。

http://neo.g.hatena.ne.jp/xx-internet/20090113/p1