谷崎潤一郎著「春琴抄」新潮文庫

 個人的にはツンデレはあまり好きではない。ただし、谷崎潤一郎には敬服せざるを得ないのです。
 ツンデレというよりも悪女文学と言った方がいいのかもしれませんが、春琴抄の主人公は、なんというかツン対デレ=10:0(笑)の凄い人。春琴にひたすら愛を捧げる弟子の佐助は、ラストにとんでもないことをしでかします。
 これはヤンデレ物にも言えることですが、昨今のライトノベルの悪い風潮は、主人公の男がひょろいこと。付和雷同で行き当たりばったりで、それをメタ的に用いて大成功したのが「誠死ね」でおなじみのSchool Daysですが、あそこまで意識的にやればそれはそれで良いものの、中途半端に正義感があって男前ぶりを発揮しながら、いざヒロインの前では本当にしょぼい奴が多すぎる気がするんですよ。それは、男のキャラクターに魅力がないと言うよりも、単に文学的手法として男のキャラクター描写に失敗しているというべきでしょう。美少女ゲームに端を発した文化だからなのか否か、存在感が希薄で人間味がない。立ち絵がなく、いわゆるファルスだけがイラストとして描かれ、シナリオに必要になってくるわけです。要はヒロインの愛を受け止める人間としてではなく、単なる男性性という記号なんですよね。人間ではなく、ファルスだけの存在。まるで乾くるみの「Jの神話」に出てくるあの得体の知れない生物こそ、これらサブカルに蔓延る下手な男性主人公の真の姿なのです。それではヒロインの成長はおろか、主人公の心の成長の過程など描ける筈がないのです。
 その点、ひぐらしのなく頃に前原圭一CROSS†CHANNEL黒須太一は肝が据わってますし、何より人間的で良いです。作者が恥ずかしがることなくその変態性を遺憾なく発揮したことが勝因ではないでしょうか。本来人間の奥底に眠る深層心理を描くのが作品ってものですから、それらを書く勇気が物語の作者には求められるんですよね。それらを人の穢い部分だと認識して隠微し、男を単なる記号として書くと下手なノベルゲームやラノベになってしまうのです。感情移入させやすくするためにキャラを薄くしているという意見もありますが、やはり作品である以上人間らしさを追及して欲しいものです。(ちなみにSchool Daysはそれをメタ的な範疇まで描き、それらのアンチテーゼとして自ジャンルへの批判性を持ち込んだので、僕は別の形でとても評価しております)
 春琴抄の場合、主人公は最後にとんでもないことをやってのけます。まさに「目」を疑いたくなるような結末。ご存じの方も多いとは思いますが、もしも未読なら読んでみることを是非ともお薦めいたします。
 谷崎潤一郎は悪女に惹かれる人間の心情描写を見事に描いたと言えましょう。これにはまった人には「痴人の愛」をお薦めします。また、谷崎は推理小説の書き手でもあり、「鍵」はミステリーとしても読める谷崎文学の最高傑作です。昨今の出来の悪いサブカル物語群で満足しているあなた、是非とも谷崎潤一郎の世界を覗いてみてください。何と言ってもストーリー展開が面白いですし、文学者と謂われる所以もわかるはずです。文学とは、高尚なものではなく本来は物事の本質を捉えたものであったはずなんですから。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)