温泉旅行記 第一章(福島県) 福島交通 飯坂温泉・穴原温泉

 二月下旬に行ってきた旅行の紀行文をいまさら書きました。
 最初は福島からです。


 夜行バスを降りた第一感想は、やはり寒いであった。日の光もまだ見えず、あたりはしいんとしている。
 予定よりも早い電車に乗れそうだったので、急いで飯坂線の改札口へと向かった。かって知った土地で良かった。幸いにも予定一本前の列車に乗れそうだが、それでも待ち時間がわりとある。とりあえず用を済ませようと駅の公衆便所へ向かった。洋式なんぞあるわけがない。肌をつんざくような寒さだ。こんなに冷えるのにどうして自分は熱を逃すような行為をしているのが一瞬人間の営みに疑問を抱いた。しかしすっきりしてみればそれだけで気分は良くなった。このように人間はプログラミングされているのだろう。
 飯坂電車は朝靄の向こうから隣の阿武隈急行と併走しながらやってきた。互いが照らす先はまさにトワイライトである。そんな幻想的な光景も、寒さに震える一人の神奈川県民にとっては暖をとるための施設に過ぎない。早速乗り込んだ。
 飯坂電車は東急の中古車を用いている。中間車を無理矢理先頭車に改造したそうだ。でっぱりがあってトイレかと思いきや、抵抗器の置き場だったりする。三両編成の場合はホームがドアに懸からない駅があるため、ドアカットするのではなくはじめからドアにロープが張ってある。いろいろと倒錯の世界だが、自分にとっては故郷を走るローカル線だ。7000系と言えば自分が池上線の沿線に住んでいたときにお世話になった車両たちの仲間であるから、まさに心のふるさとを走る列車と言うに相応しい。これで終点の飯坂温泉まで行く。
 加速と減速を繰り返し、終点まではあっという間だった。階段を上り、ひとまず穴原行きのバス乗り場を確認してから飯坂の温泉街へ繰り出した。
 地図通りに歩いたつもりだったがどうもうまくいかない。理性を捨てて勘を元に歩いていくと、目指す最初の目的地である鯖湖湯は見つかった。少し前まではかなり由緒ある木造建築の建物で、つい最近老朽化に伴って改築したが、いにしえの趣は健在である。南東北観光大使松尾芭蕉も入浴した由緒正しき公共浴場だ。料金は二百円。
 おばちゃんに入浴券を渡し、木造のドアを開けるとすぐに浴場だった。冷え切った身体が熱いお湯を求めているのが感じられた。逸る思いを抑え、大荷物を整理しながら脱衣した。
 浴場は広いわけではない。シャワーなどといった施設は特になく、入浴に必要な最低限の設備があるだけである。浴槽は深い。そして、お湯が熱い。
 自分は少し熱めの湯が好きだったので、苦にはならなかった。決して広くない浴槽には、地元住民が毎日のことを繰り返すかのように入浴していた。早速声を掛けられた。後々思い知ることになるが、福島県中通りの住民は気さくな人が多い。どこからきたのか、大学はどこなのかなどといったわりと凡庸な会話が続いた。自分は応対しながら、いつ風呂を一回上がって休憩し、再び入るのかというタイミングの問題を思案しようとしていた。結局はおじさんの話に意識を集中することになってしまった。こういう出会いもいいのではないか。石油の値上がりで数々の銭湯が廃業に追い込まれる中、浴場という特殊なコミュニケーションの場が日本にはある、とニュースで特集されていたのを思い出したのである。今回の旅行は全国の温泉を十カ所以上回るように計画してある。ならば、地元の人との会話をし、足を使うだけでなく肌と心を通じた「現地体験」をしようではないか、それでこそ日本が理解できるのではないかとそのとき胸に誓った。
 鯖湖湯の前の観音様に手を合わせ、公共浴場を後にした。バスの時間まではわりとあったので、温泉街をぶらぶら歩くことにした。飯坂温泉はかつてわりと栄えた部類に入るが、現在活気があるのは駅から遠い奥まったところにある旅館ばかりで、駅前近くの老舗旅館は元気がないかすでに廃業している場所が多い。川沿いに旅館がずらりと並んでいる壮観な温泉街なのだが、ほとんどがシャッターを閉じて窓ガラスもぼろぼろなのである。時代に取り残された街というか、不況の波がここまで押し寄せて溜まったといった感じだった。
 川沿いへの階段を降りてみた。苔の蒸した岩組みの階段で、段差がばらばらだし相当に汚い。下まで行くと行き止まりのようだったのでもう歩を進むのをやめたが、振り返ってみると寂れた建物の間に自然な階段がすうっと出来ていて、異世界に迷い込んだような神秘さすら感じた。これが温泉街の温泉街たる魅力なのだろうか。
 パチンコ屋のバス停からバスは出て、先ほどまで歩いてきた小道を中型バスがぐいぐいと上っていく。かと思えばいきなりバス停でも何でもない場所に停車し、路端で手を挙げていたおばちゃんを拾ってはちょっと先の建物で降ろしていく。その間、運転手はずっと乗客と気さくな会話を続けている。
 大した距離ではなかったが、結局僕が唯一の乗客になってしまい、運転手の会話の矛先は僕を向いた。
「どこへ行くんですか」
「穴原まで」
「穴原っていうと天王寺ですか?
「いいえ天王寺穴原湯です」
「いいですね、朝から温泉ですか」
 その後も世間話が続き、自分が神奈川に住んでいて祖父や祖母の家を訪れにきたこと、今朝夜行バスを降りてこれから浴場へ行って来ることなどを話してしまった。なんというか、先ほどの人もそうだったが話さざるを得ない雰囲気になる。向こうの会話能力がうまいのかもしれない。まあ、端的に言っていい人なのだろう。
 運転手はバス停ではなく、浴場の前でバスを止めてくれた。金を払うと笑顔で応対してくれた。
 さて、穴原天王寺湯である。入ってみると入浴券を入れてくださいとある。入浴券はここでは売っていなく、どこかの券捌所で買ってこいとのこと。意味のわからないシステムだ。穴原温泉にはいくつかの旅館と民家のような建物がある。その中のいくつかが個人商店だったが、朝なのでやっていないものが多かった。
 ようやく見つけた商店に入った。誰もいない。店の奥から話し合っている声が聞こえたので何回か声を掛けた。やっとのことで入浴券を獲得できた。二百円である。これで入浴できる。
 結論から言えば、今回の旅行で最も後味を悪く残すというか、もう二度と行かない部類の浴場になってしまった。飯坂温泉の鯖湖湯もお湯はかなり熱かったのだが、穴原天王寺湯は尋常な熱さではない。足を入れたその瞬間からピリピリと痺れはじめ、我慢できずに足をお湯から抜くと股全体が焼けこげたような痛みに襲われている。ひどいものである。
 浴場には後からとってつけたような看板がいくつかあった。それによると、「最近、公共浴場巡りをする観光客が増えています。旅行客は熱いお湯が苦手ですから、入ってきた際は地元の方は水を入れるようご協力ください」「熱すぎるお湯は健康に悪いのでご注意ください」とのこと。
 これは後で祖母に聞いた話だが、以前天王寺穴原湯を訪れた観光客が地元の人ともめたらしい。観光客はお湯が熱すぎるので水を注ぎだし、それに住民が反発したのだ。温泉の有効成分が薄まってしまうと文句を言い、観光客はそれに腹を立てて事態を新聞に投書したのだそうだ。そこで飯坂の観光事業を携わっている人が「飯坂温泉を嫌いにならないでください」とフォロー。
 そんないきさつで例の看板を取り付けたのだろう。観光事業は予想以上に難しい。観光客の喜ぶ物ばかりを作ればいいというものではない。地元に住んでいる人とどのような関係をもって観光事業を進めればいいのかという難題がある。
 だからきっと、天王寺穴原湯も単純に水を入れてやればいいと言う問題ではないのだろう。最適の解決策は自分がもっと熱いお湯に慣れてから再訪することだった。けれども、あのお湯の熱さだけは当分に慣れそうにない。結局、早々と浴場を後にしたら地元の人に「早かったですね」と言われてしまった。僕は素直に熱かったですと答えた。課題の残る浴場となった。
 その日は祖父や祖母と合流し、軽く買い物をして阿武隈川を訪れた。阿武隈川の畔には白鳥飛来地があり、毎年数多くの白鳥が集まってくる。今年は寒い気候がわりと長く続いたため、白鳥たちが北へ帰らず千羽近くの白鳥が滞留していた。彼らにパンを与える。とは言え、白鳥よりも鴨の方が多い。パンをそのまま投げるだけだと川に落ちてしまい、白鳥がその長い首を曲げてパンを拾う前に鴨が食べてしまう。白鳥はしびれを切らして鴨のケツを囓るなどといった暴挙に出る。彼らに餌を与えるには直接口元へ運ばなくてはならない。結局指を噛まれる羽目になった。わりと痛かった。
 夜には母方の祖母の所へも行った。母方の祖母の家を訪れた際は福島駅直下にあるスーパー銭湯へ行くのが定例になっているのだが、これは温泉ではないので数には含めない。しかし相変わらず良い浴場だった。