温泉旅行記  第二章(山形県) 奥羽本線 小野川温泉・川西温泉・赤湯温泉

 翌日は奥羽本線に乗って米沢を目指した。本当は峠の茶屋で一休みするつもりだったのだが、店が雪により休業中だったから泣く泣く峠駅の途中下車を諦めた。幸いにも峠の力餅波購入できた。山形新幹線の車内販売でも同名の商品が売っているが、これは紛い物で本物はこちらなのだそうである。シェルター内の峠駅で朝から餅売りの声が響くのはすごいことだと思う。田舎好きの自分でさえそのような生活は送れないだろう。
 米沢に到着して山交バスに乗り換えた。奥羽本線に乗っている時から気づいていたが、雪の量が半端ではなかった。雪かきした痕らしいのだが、道の両側に一メートル以上の雪がつもっていて、大型のバスがその中をぐいぐい走っていくのである。
 長い雪道を走り、すっかり気分が高揚してきたところで目的地の小野川温泉に到着した。早速露天風呂、小町の湯へ向かった。雪道を進み、川を渡るとそれはあるはずだった。しかし、視界に映るのは雪に埋もれた小屋、いやむしろゴミ処理施設のようなものと、あとは銀世界のみである。位置的にはここだと思い、小屋の裏側に回ると果たしてそれが浴場だった。これには閉口である。建物よりも雪の方が厚いのではないだろうか。
 先ほどから雪が降ったりやんだりしている。二百円は入り口の箱にちゃらりと入れた。更衣室には雪を防ぐ屋根があるだけで、浴場から丸見えである。浴場は雪の中に埋もれたオアシスといった趣だった。これには心が踊った。
 泉質がすこぶる良い。浴場のすぐ側まで雪が迫っていて、ちょっと雪を掴んでお湯に入れれば温度調節が可能である。まさに文句なしの名湯だった。岩のごつごつとした趣もすばらしい。天から降ってきた雪がお湯の表面にあたり、そのまま湯の華となって温泉にとけ込んでいくような、そんな幻想的な光景をしばらくぼうっと眺めていた。これだから温泉はやめられない。小野川は結局、今回の旅行で行った温泉の中で一、二を争う名湯だったと自分は考えている。
 すっかり暖まり外へ出ると、かまくらがちょこんとある。中には椅子とテーブルがあったので、写真を撮ろうと中へ入ってみた。雪で作られているにもかかわらず意外と丈夫そうである。
 テーブルの上には電話番号が書かれた案内があった。見ると、米沢ラーメンの注文ができるらしい。どこかで昼食を摂るつもりではいたので、早速注文してみることにした。電話で注文し、配達した際に金を払うシステムで、食べ終わった食器類はそのまま残しておくと後で回収に来るそうである。これは面白い。
 米沢ラーメンはわりと味の濃いラーメンだった。東北のラーメンは意外に塩味が濃いのである。塩分を摂取していないと生きていけないのだろうか。 
 そしてバスを待つ間小野川温泉の町並みをぶらついてみた。神社を参拝しようと、この温泉街の中心にある神社へと足を運んだ。途中、わき水や飲泉などを頂き、うろうろ歩き回ったのだが一行に見つからない。雪は降り続けるのみである。地図の示す場所を何回も行き来したが結局見つからなかった。
 諦めて帰ろうとした瞬間、ふと目に付いたのが石像の柱だった。目的地の地名が刻まれている。見ると、自分が行こうとしていた場所は参道の階段が雪に埋もれて全く通れそうにない場所であった。なにせ自分の身長くらい雪が積もっているのだから諦めるしかない。残念と思う傍ら、これも貴重な経験かなとも思った。小野川の神様、参拝できなかったことをどうかお許しくださいませ。
 米沢に戻り、米坂線に乗って羽前小松で下車した。雪は止んでいたが、雪の積もり方が半端ではなかった。今回の旅行でローラー付きのケースを初めて使ってみたのだが、もうここでそれは失敗だったと悟った。何せ雪道だから、全くローラーが使い物にならない。ただ雪の上を引きずっているだけになる。仕方ないので雪のこんもりしている場所は重い荷物自体を持ち上げるしかなかった。
 峠の茶屋へ行けなかったぶん、入る浴場を増やしたのである。駅から車で五分と案内にあったので大した距離じゃないだろうと高をくくっていたが、到着までが上り坂で大変だった。結局歩くと二十五分ほど掛かった。駐車場で車の整理をしていた人にいろいろ聞かれたので駅から歩いてきたと答えると、それは大変だったですねと返答。でも帰りもあるんですよね。帰りは早めに行こうと心に誓って、疲れ切った身体を癒しに温泉へ向かった。
 川西温泉はダリアで有名な川西町にある温泉で、お湯がちょっと緑色の様相を呈している。浴槽はわりと広め、一面ガラス張りの開放感ある設計だ。サウナもあって、これで三〇〇円はお得だと思うけれども、駅から遠いのをなんとかして欲しいものである。やはりこの辺りは車社会なのだ。入浴客もほとんど車で来ているはずだった。
 しかし本当の悪夢は入浴後だった。早めに浴場を後にしたのだが、どうやら道を間違えたらしいのである。何かで確認しようとしても、周りは雪ばかりで特にこれといったランドマークがないからどうしようもない。しばらくは自分を信じて道を下っていたが、やがて足跡もないことに気づき、パニックに陥った。辺りを見ても何もなく、そろそろ夕方でただでさえ曇っているのに日が傾き掛けている。このままこの道を下っていてもどうにもならない。そう考えて、一思いで元いた浴場まで引き返した。
 今度は別の道をトライしてみた。どうやらこちらが当たりだったようだ。温泉に入ったはずなのに身体は疲れ切って、精神的には冷や汗をかきまくっている。このまま帰れなくなってしまうのではないかという恐怖と戦っていたのだ。歩きながら自分の心臓がバクバクと音を立てていたことに、駅までの道を発見してから気がついた。雪はさらに激しさを増し、絶えず僕の傘に攻撃を与え続けていた。
 これほど駅が見えたことを嬉しく思ったことはなかった。予定していた列車にもなんとか間に合った。この日の心残りと言えば、米坂線でお目当てのキハ52系に乗れなかったことくらいだ。まあ、米坂線に乗る機会は明日もあるだろうと言うことで、次の日に期待を残して今泉で下車した。
 フラワー鉄道長井線は通学客で混雑していた。終点の赤湯に到着する頃にはすっかり暗くなっていた。僕は一端列車を降りたが、折り畳み傘を忘れたかもしれないと気づき、大急ぎで引き返して車内の車掌に傘はなかったか訪ねたところ、青いビニール傘をプレゼントしてくれた。乗客の忘れ物で保管の期限が切れた物らしい。結局なくしたと思っていた折り畳み傘は別の所から見つかるのだが、それを今度は鹿児島県指宿の宿泊施設に忘れて帰宅したという運命を辿る。それはまた別の話ということで。
 赤湯の宿は駅からわりと距離があったのだが、僕はもう歩く気力を失っていた。しかたなくタクシーを頼み、宿泊先へ急行した。宿のおばちゃんは親切で、お湯の泉質も良く、文句なしの旅館だった。これだけの低料金で源泉掛け流しの温泉に入れるのだから満足である。