国家による「デブ」の差別

 今日からメタボ検診の制度が始まりました。メタボリックシンドロームという言葉はどこからともなく現われ、爆発的にヒットしましたが、要は「デブ」なんです。メタボの方には詳しい定義があるのかもしれませんが、デブをそれに当てはめればいいだけなんです。
 デブという単語は差別的に感じます。呼ばれると嫌悪感を抱く人もいるでしょうし、場合によっては侮辱罪云々の問題にかかわるでしょう。
 ただし、国家側としては肥満人口を減らしたいというのが本音です。健康で長生きしてそれだけ働いてくれる人を国家は求めるのです。それだけ税金が入ってくるのですから。
 それで「デブ」は結局国家にとって目の上のたんこぶなのでしょう。しかし「デブ」をそのまま「デブ」と呼ぶわけには行きません。そこで、メタボという言葉を生み出したのです。
 メタボは国家が容認するデブへの差別です。メタボリックという難解な語を用いることで、科学的らしさ、妙なそれらしさを演出して、人々がその語を使うと自分の知識の披瀝になるような、呼ぶことによって罪悪感を抱かないような形にしたのです。
 こうして、人々はデブを「メタボ」として差別することが国家によって公認されました。肥満気味の人々を国家のためによろしくないもの、と仕立てたのです。
 確かに今となっては「メタボ」は便利な言葉かもしれません。けれども、この語が含む意味をしっかり理解して用いるようにしましょう。本来なら医師以外は口にしないはずの語なのです。そして、「デブ」の方々は国家による迫害に屈することなく、自分を貫いて生きていきましょう。これが、エイプリルフールにおける僕からのメッセージです。