環境問題ブームに一言

 温暖化などによる地球環境悪化を防止するためのキャンペーンがいたるところで行われている。政府が積極的に推奨し、果たして何に換えられるのかわからないポイントサービスなども始まっている。はっきり言ってしまえば、ほとんどがナンセンスであると言わざるを得ない。
 ほとんどの商品はCMを見ても「二酸化炭素をこれだけカットしました」程度の軽薄さなのである。「この車は地球環境に優しいのね」という感想を抱いたとしても、それが人力車か何かでもない限り、どこかでかならずエネルギーは消費していて、本質的に地球環境に優しい機械なんてあり得ない。せいぜい、他と比べるとマシ、という程度だ。このことを理解した上で消費者は商品の取捨選択を行っているだろうか。
 飛行機か鉄道かという選択肢があったとする。あなたは地球環境を鑑み、新幹線を選択したとしよう。その際、あなたの選択は果たして地球温暖化対策に役だったと言えるだろうか。答えはノーであり、たとえあなたが飛行機を選ばなかったとしても、羽田から伊丹空港に向けて飛ぶ飛行機は運行されるし、鉄道も同様に運行される。どちらからも一定の二酸化炭素は排出されていて、あなたの選択それ自体には何ら意味がない。ただ、どちらの会社に金が行くかという問題である。
 家電の選択については、多少の差は発生するかもしれない。しかし、人間全体が排出している二酸化炭素の量と、たった今自分が削減できた二酸化炭素の量を比較すると、後者はもはや計算上の誤差程度にしかならない。例えば、スーパーでレジ袋を一つ断っても、その後に雨が降れば百貨店の軒先に置いてあるビニールの傘袋が日本全国で消費され、自分の行動には何ら意味はなくなってしまうのだ。この場合、百貨店がビニール袋ではなく、傘置きを用意するだけでかなり多くのビニールが節約できる。
 地球環境を救えるのは個人ではなく集団だ。この地球という星は、たった一人のヒトが支えるには大きすぎる。いや、地球にたいしてたった一人のヒトがちっぽけすぎるのだ。人間という種族が一丸となって戦うべきである。
 たった一つの企業が(比較的)環境に優しい新製品を開発したとしても、地球温暖化をくい止めるのは難しい。必要なのは個人単位、企業単位ではなく国単位、世界単位の抜本的なシステム改革であり、「雨が降ったら傘をビニール袋に入れる」などという根本的な価値観の修正なのである。環境に優しいテレビを作るより、テレビを見なくても楽しんでいける社会を作った方がよほど良いではないか。
 少なくとも、日本の軽薄すぎる「エコブーム」「環境に優しい商戦」はやめていただきたい。環境問題は商品のセールスポイントにするためにある些細な問題ではないのだ。結局のところ商業主義が見え見えな、日本政府による企業の「エコひいき」を即刻取りやめ、もっと抜本的な意識改革にチャレンジしていただきたい。