劇団四季・自由劇場「春のめざめ」

 旅行記の続きは後日書きます。

 まずは出演者の方々に多大な拍手を。歌も上手いし、舞台の使い方が半端ではない。前宣伝のとおり過激な内容を含んでいて、舞台の真ん中でオナニーしている男性の周りを女性がぐるぐる旋回するシーンがあったり、胸が露出するセックスシーンがあったりした。その他ご自身の目で是非ご確認いただきたいのだが、とにかく中盤までの展開は非常に見応えのあるシーンが連続し、手に汗握るすんごい内容だった。やはり劇団四季は素晴らしい。
 しかし、最後のシーンがどうしても納得行かない。ネタバレはしたくないので詳しくは書かないが、ラストの展開がいささか急で、結局のところ主人公がキリスト教の価値観から抜け切れてない気がした。もうちょっと暴れて欲しかったのである。出演者全員が出てきて歌うシーンがあるが、なんというか観客が自殺しないためにとっさに設けられたお説教シーンのように思えてならなかったのである。
 これが19世紀の政治的プロパガンダを含んだ演劇なのだとすれば、現代の若者がこの劇を見ることにどういう意味が見いだせるのだろうか。これを観劇する年輩者は恐らくこれを過ぎ去った自らの過去と重ね合わせるのだろうけど、若者に届くメッセージはあくまでも19世紀のそれであり、21世紀とは恋愛の様相が違いすぎる。
 とある授業で教授が「現代で恋愛は成立しない。恋愛が燃え上がるためには乗り越えるための壁が必要で、恋愛も自由で何でもアリになった現代日本社会では良き恋愛小説が生まれるはずがない」なんて言っていた。僕もそれに近い理論を抱いていた時期があった。
 私事続きで申し訳ないが、この間自分はとある女性に告白をした。しばらくの間は恋愛感情を封印し続ける覚悟を決めていたのだが、どうにも耐えきれずに心中をぶちまけた。「お友達の関係を続けよう」というのが女性の答えだった。完全に納得することはできないだろうけど、彼女の意見を尊重した。
 その後は夜に眠れなかったり、色々落ち込んだりしたが、出会った人に相談に乗ってもらって鬱状態を回復していった。様々な支えのもとに人間は生きているのだと実感した。
 コミュニケーションの授業でお世話になっているドイツ人の教授には色々建設的なアドバイスをもらった後に、「ドイツ語には告白に該当する単語が存在しない」と言われた。そういえば「春のめざめ」には告白にあたる恋の段階が存在しなかった。日本は恋愛においてもいささか形式的なのかもしれない。
 僕が好きになった女性は「恋愛という関係だといつか終わりが来るので怖い、だから友達のままずーっといたい」という実感を持っているようだった(色々無断引用してしまってごめんなさい、この場で謝罪します)。この文章の意味について様々に思索を巡らせ、はじめは懐疑的に思っていたものの、ようやく何かを掴んだ気がする。
 現代日本においては、形式化された恋愛よりも特に定義のない友達関係の方が崇高なのかもしれない。「春のめざめ」においては、主人公の彼女と同じくらい、主人公と同性の友人がキーパーソンになっている。もちろん彼と肉体的な関係を築くことはしないが、最後のシーンを見る限り、主人公が行為に及んだ女性と同等の位置において、その男友達は主人公と接しているのだ。彼の存在は劇自体の意味をより深淵にするためにも、そして主人公の精神的同伴としても、重要である。19世紀型恋愛と21世紀型恋愛は異なるが、友人関係というものはいつの時代も普遍的なのだ。
 恋愛がかつてのような禁忌を孕むものではなくなった現代、その価値は零落して「春のめざめ」のメッセージ性は失われつつある。
 性教育の未発達がある種「春のめざめ」のテーマだったかもしれないが、もちろん現代には通用しない。情報化社会に生きる我々はインターネットなどを通じて親の口を借りなくてもそれらの情報を得てしまう。肉体関係だけではなく、デートや告白の言葉などといったスタンダードな恋愛観が既に構築されいて、その恋愛観に従って行動することが恋愛なんだと思うのが21世紀型恋愛である。クリスマスイブにディズニーランドが混み合うのもそのためである。ものすごく形式的だ。
 今こそ見直すべきなのは、友人とは何なのかということかもしれない。そうすれば、形式化された恋愛という固定観念に一矢報いることができるかもしれない。まあ、友情とは何かという定義に勤しんで定義して、恋愛のように形式化してしまったら元も子もないんだけれども。
 恋する感情を封印することは出来ない。それがいかなる形式に当てはめられたとしても、重要なのは末永くその人を思い、互いに仲良くしていくことなのだろう。ぶっちゃけて言えば友達というのも一体何だかよくわからない。定義のできない関係でいたい。いささか「春のめざめ」の本質から逸れてしまった結論だが、僕はとりあえず主人公の意図を汲んで前向きに生きていこうと考える。そう考えて、今はかなり精神状態も落ち着いてきている。
 今日は古くからの友人と共に観劇してきた。数日前に失恋があった僕としては非常に有意義な観劇だったわけだが、結局その友人にはそのことを告げず仕舞いだった。きっと彼はそんなことがあったとは気づきもしなかっただろう。僕がこの話を持ちかけて嫌な気分になったり、劇のことに集中できず僕のことに気をつかってしまったりしたら迷惑だろうなと思って自重してしまったのだった。それ以降もずっと恋愛にまつわる話をしていたのだが、帰り際に何故かお互いの関係性についての話になっていた。恋愛と友情にはやはり何らかの関連があるのかもしれない。
 今度、いつか、落ち着いたら、僕にその勇気が持てたなら、そっと僕の告白体験についてもその友人にうちあけようと思っている。