氾濫する婚活用語とキャラクター

 婚活ブームがどうも解せない。人口減少に歯止めを掛けるために政府が奨励しているのだと考えるといささか恐怖を覚えるが、今日はまた別の話。
 最近は異性を一括りにする用語が盛んに生み出されている。「草食系男子」「ちょいS女」「乙女コヤジ(乙女チックな男子の略、らしい……)」などなど。きっと「あの男は××だよねー」などと同性の間で言い合って、飲み会の話の種にでもしているのだろうけれども、概してセンスが感じられないし、何よりも人間の個性を度外視して単純な種類分けに収支してしまう発想が気にくわない。

 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/15/news097.html
 この風潮が蔓延ったせいか、最近ではセンスのなさが露呈した「男の子牧場」事件が勃発。詳細については各種サイトを参照していただきたい。こういう類の妄想は自分の脳内でやっておけばいいのであって、情報を共有してビジネスを行おうなんて発想に至れるあたり、多種多様な人間の性格を甘く見て単純に置き換え、異性を自らの手中に置いてしまおうという恐ろしい発想の産物である。妄想する分には構わないが、これをビジネスにしようと考えた開発者は一体どういう神経をしているのだろうか、ちょっと僕には解せなかった。

 はっきり言ってしまえば、「草食系男子」だの何だの、あたかも最近になって開発されたキャラクターのように思われているかもしれないが、古くからの日本文学、海外文学を紐解けば、似たような性格を持つ主人公、名脇役は多数存在する。むしろ、現代の人間よりもリアルに、濃厚に、アクチュアルに、真剣に恋について悩む人々がそこにいる。他人を単純に形容してしまおうという発想は、ひとえに読書体験の減少に基づくのかも知れない。やはりケータイ小説や下手なライトノベルでは補えない、人間の魂の躍動が真の古典文学には描かれているのだ。最近の社会は想像力が貧困になっている。

 人間は個々人で違っているから面白いのではなかろうか。おたく文化で蔓延る「ツンデレ」「ヤンデレ」などの用語も、そのキャラクターがいかに「ヤンデレ」なのかを考察することが重要であり、「ツンデレ」だから好き、「ヤンデレ」だから嫌いなどといった短絡的思考は良くない。同じヤンデレでも桂言葉竜宮レナ園崎詩音が抱えた心的外傷はそれぞれ全く異なり、一連の物語を理解してようやくそのキャラクターを理解することができる。最悪、二次元キャラクターのカテゴライズはしょうがないとしても、現実の異性をそんな簡単に分別してしまうのは危険思想ではなかろうか。

 社会が複雑になればなるほど、人々の「簡易化への欲求」は募っていく。「草食系」などと括れば確かに紹介も理解もしやすい。上辺だけで判断しがちな「婚活」ではそれなりに有用な手段なのだろう。しかし、せっかく好きになる人なのだから、異性の表層には出てこない、心の底の暗闇を照らしてあげる行為こそが必要ではなかろうか。人間はそんなに簡単な生き物ではない。今こそ21世紀型「疾風怒濤運動」を展開する必要がある。