街並みの日本的秩序

 中学生の頃から東京都心を散歩するのが好きだった。子供の頃から西欧の街並みは整然としていて、日本のはごちゃごちゃしているという印象があった。日本の無秩序な都市計画に嫌気を差すこともあったが、このごちゃごちゃ感こそが日本のアイデンティティーなのかもしれないと考えるようになった。中学時代の自分は東京をカオスな空間と捉え、そこに魅力なり意義なりを見出していた。しかし、高校に入って都市計画の本を読むと、その認識は変化していった。
 確かに、無秩序であることは東京ないし日本の街並みの特徴かもしれない。日本の街並みは土地を持つ個人が用途に応じた建築物を形作り、それらがひしめきあって形成される。建物の形で何の店なのか、会社なのかが一発でわかるので、わかりやすいといえばわかりやすいのだが、街並みの美しさでは欧米に負けてしまう。
 しかし、日本の都市計画・街並みづくりをカオスという一語で処理してしまっていいのだろうか。高校生・大学生とひたすら旅行を続け、日本にもオリジナルの建築美・都市景観のこだわりがあるのではないかと考えはじめた。

(1)東急田園都市のコンセプト
 通勤ラッシュが大変ではあるが、東急電鉄が主に推進した城南地区の開発は日本でも稀に見る成功例だと僕は考えている。この地区の開発で東急側が重要視したのは、駅前の差別化だった。
 高校時代、東京北部に在住する友人が東急線に乗り、「車窓が次々と変化して面白いね」といわれた記憶がある。画一的な駅が多い東武鉄道などと比べてもらえればわかると思うが、東急沿線の駅はそれぞれ独特の個性を放っている。特に田園都市線の各駅は、駅前の風景が他駅と同じにならないよう、それぞれ別のデザイナーに設計してもらって形成されたのだそうだ。東急田園都市線の各駅を全部下車してみたが、確かに似ているなと感じた駅はひとつもなかった。こうした理由には、「地域住民がそれぞれの駅に対して愛着を持って欲しい」という願いがこめられていたそうである。
 それぞれ異なること。これが日本的空間演出のヒントになるかもしれない。

(2)保養地の機能美
 温泉街は決して日本独自のものではないが、川沿いに温泉旅館が乱立する光景は、やはり日本独自のものである。路地裏に行くと怪しい店が見つかるのもひとつの都市計画かもしれない。
 そんな中、日本初の温泉街計画都市として名乗りをあげているのが群馬県伊香保温泉である。
 伊香保温泉は階段のある坂道の途中に温泉街が乱立している。階段を上がっていき、さらに川沿いの道を進んでいくと、やがて源泉にたどり着く。この源泉地からお湯を引き、階段沿いの道を下方向へ向かって温泉のパイプを通し、各温泉旅館が途中で源泉を引けるようにしたのが伊香保温泉なのだ。
 外観的な都市の統一ではなく、機能としての都市の統一だ。それぞれの温泉旅館は独特の外観で個性があり、来客は自ら好んだ宿泊施設を選択する。そして源泉は共通のルートで賄われる。こういった目に見えない場所・水面下の秩序は日本の特徴かもしれない。

(3)日本独自の建築物永劫再生技術
 東京が特に顕著だが、日本の都市には古くからの建造物というものが他国の街並みに比べて極端に少ない。下町神田辺りを地図見ながらぐるぐる回ると幾つか文化財的な建物を発見することができるが、六本木や渋谷周辺となると壊滅的である。古くから木材建築が多いせいなのかもしれないが、日本の建築物は建て替えのスパンが異様に短く、次々と新しい街並みに変貌を遂げていって、従来の面影を残さなくなる傾向がある。特別に保存しないと難しい。
 木材建築だからしょうがないのだろうか。いや、日本が古来から続けてきた方法が日本の最も神聖な場所で継承されている。ご存知、伊勢神宮だ。
 式年遷宮という行事をご存知だろうか。伊勢神宮の本社の隣には広大な空間があり、一定の年月が経つと今までと全く同じ工法で同様の建物が築かれ、過去から未来へ継承されていく。こうして、法隆寺よりも断然長い歴史の建造物が受け継がれていくのだ。
 現在の東京が無秩序に見えるのは過去の建築技術を全く無視し、革新的な建築物を無秩序に作っていくためであろう。伊勢神宮を見習い、なんとかならないものだろうか。

(4)川越「蔵づくりの街並み」
 日本でも有数の都市景観保持成功例の都市として埼玉県の川越を取り上げたい。
 川越は大火に見舞われてきた。火事に強い蔵づくりの街並みを建設しようと話がまとまり、火事に強い蔵づくりの建造物を各住民が採用していった。建物を建てた後は、内装をそれぞれの用途でカスタマイズする。西欧で当たり前のようにやっていることを日本では珍しく取り入れていて、なおかつ今に継承されている街だ。
 川越で伝統的に行われている蔵の建築方法は川越市博物館にて詳細に展示されている。このような技術が伝承されていくことは、伊勢神宮式年遷宮に似ているかもしれない。単なる建築方法だけでなく、日本古来の文化・宗教的儀式が残されていて、その点においても興味深い。
 やはり日本オリジナルの都市計画は存在する。問題は、川越のように力のある都市であればそれらが継承されていくのだが、金銭に余裕のない地方都市はそれを行っていくことが難しい。

(5)都市維持のためには
 西欧の城壁都市はかなりストイックな政策の下に行われてきたのも事実だ。「中世の宝石」とも呼ばれる城郭都市ローテンブルグの中央部には「犯罪史博物館」というなにやら怪しい施設がある。ここでは、政府がいかに住民を管理してきたかが展示されている。城郭というのは、外部からの敵を防ぐというよりも、内部から外へ人民が流出しないためにあるというのは有名な話で、都市景観の維持のためにも多大な労力が払われてきたのだろう。ローテンブルグの見事な街並みがこうして残っているのも、政府による相当な指導が入っているのだろう。
 前述したように、川越がその街並みを築けたのは火災に見舞われたという悲しい過去がある。そういったことがなければ、日本の風土では、顕在化する都市景観美を維持していくのは難しいのかもしれない。けれども、かつての都市計画を完全になかったことにし、高層ビルを法律の抜け目を利用して無秩序にバンバン作っていくのは本当によくないことだと思う。

(6)東京都市計画のテーマは「水辺の都市」
 水の都市というと大阪を連想させるかもしれないが、東京も昔から水路を利用した都市計画を推進してきて、現在は水路こそ地下へもぐってしまったが、「橋」という名のつく地名が多いことはその証拠である。
 東京から高台の尾根を放射状に街道が整備され、その近くには大名屋敷などが建設された。尾根から下り、谷間の部分には庶民が住んだ。このような住み分けが江戸時代から行われていて、神田川などの用水を利用した都市計画があった。実際にこの辺りを散歩してみると、必ずしも単なる「カオス」ではないことがありありとわかる。
 新宿から池袋まで歩いてみよう。新宿や池袋で広い土地に大きなビルが乱立するのは、当時大名屋敷が多かった名残だ。地上駅舎の池袋・新宿と異なり、途中の新大久保・高田馬場・目白は橋上駅舎となっていて、これは山手線が坂道を登ったわけではなく、土地が低くなったのだ。こうした低地には庶民が住み、現在でもその名残が西早稲田地区などで伺える。目白には商店街すら存在する。
 もう一度日本独自の都市計画を見直していただきたい。西欧のと比べると地味なものかもしれないが、そこには日本人の伝統が脈々と受け継がれている。西欧の庭園はシンメトリーなど人工的なものが多く、日本の庭園は自然の営みを現すのだという。それは決して混沌なのではなく、たとえば枯山水で有名な竜安寺の石庭であれば、「全ての石を見渡せる箇所が存在しない」という、簡単には気づきにくいが素晴らしい秩序があるのだ(どうやらこれには諸説あるらしいけれども)。これらは今の高層ビル会社が完全に忘却していることである。

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

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