メイド論

 いまやオタク文化の象徴ともいうべき存在となったメイドだが、実際のオタクに聞いてみるとメイド文化との関係は希薄だったり、全く興味なかったりする。作品世界におけるメイド、秋葉原にはびこるメイド喫茶など幅広く扱ってみたいと思う。


以下、まほろまてぃっくなど諸作品の核心に触れる記述があるので注意。

 そもそも、メイドがオタクに知れ渡ったのは「くりぃむれもん・黒猫館」を起源とし、90年代のノベルゲームブーム(禁断の血族、殻の中の小鳥など)で勢力を広げてきたらしい(東浩紀動物化するポストモダン講談社)。この事実を知っているのであれば、東京観光のイメージとしてメイドを起用することはないと思うのだが……(無知って怖いね)。案外、18禁文化発祥サブカルは多いものである。

 メイドブームが18禁世界を飛び越えて幅広く認知されるようになった最大のきっかけは「まほろまてぃっく」の大ブームにあると思う。現在廉価版としてコンビニでも売られるようになり、DVDも再販されて見直されている作品だ。自分もこの作品には多大な影響を受けたのだが、同時にこの漫画が中山文十郎(文)+ぢだま某(絵)のコンビで製作されており、中山文十郎は本来18禁小説の作家(代表作:同級生、雪菜のねがいなど)であることを忘れてはならない。

 まほろまてぃっくまほろさんは戦闘用アンドロイドである。戦地で大活躍していたが、余命が近づいてきたため、美里家で平穏にメイドとして働くことを自ら希望し、「メイドだから」と言って軽々と主人公宅へ上がりこむ(本編ではちゃんと契約するが、いずれにせよ仲良くなるのは早い)。序盤はかなり豪快にギャグ漫画として飛ばしているが、後半からシリアスなシナリオになっていく。終盤には主人公とまほろさんの関係が擬似的母親からさまざまな変遷を経て恋人に近づいていったという記述が丁寧になされていて、作品に張り巡らされた伏線が一気に収斂する。まほろさんは亡くなってしまい、主人公は悲しみを胸に抱きながら大人になっていくが、最後にアンドロイドとして派遣されたまほろさんが人間となって帰ってくる。再会のシーンでこの話は終わる。

 実のところ途中まで大号泣しながら漫画を読んでいたのだが、ラストでちょっとひっかかってしまった。アンドロイドとしてのまほろさんの命はあくまでも失われているのであり、再会というよりは再び別の人に会ったというような形である。アニメ版でもラストについて賛否両論出たらしい。

 一つの意見として「まほろまてぃっく」は主人公美里優の成長物語であり、まほろさんに関しては成長しないロボットに過ぎないというような見方も存在するらしい。しかし、個人的には納得いかない。それまでの過程が非常に優れていて、作品自体もかなり評価しているのだが、最後だけひっかかっていたのだ。

 まほろまてぃっくは前述したように一大センセーションを巻き起こした。ただし、この時点でメイドとしてのまほろさんという存在が、実は主人公にとってあくまでも「交換可能であり、単一個人に限定されるものではない」対象として定義されていたのではないかと邪推できる。オリジナルのまほろさんのコピーでも主人公は満足しちゃうのだ。オリジナルを弔うことなしに。

 既にメイド要素のいくつかは発見できたと思う。列挙すると……

・服装など、フェティシズムの一つ
・エロスと親和性が高いこと
・メイドという役職そのものが主人公との早期関係構築の潤滑油となること
・母親や姉、彼女にとってかわりうるものであること
・それ自体もある程度交換可能であること

 補則するなら、美里優の両親が既に亡くなっているという設定、まほろさんの口癖が「えっちなのはいけないと思います!」なのにもかかわらず次々と破廉恥な事件に巻き込まれていくこと(逆説的に考えると非常に興味深い)などを考慮したい。そして最も重要となるのは……

・それ単体で主人との主従関係を直に表すこと

 である。

 メイドが登場するということは、それだけで主人との主従関係に言及したものだと定義できる。物語において、メイドというキャラクターは個体でのみ存在することは許されず、必ず主人との駆け引きがメイドというキャラクターに内包される。

 そろそろまほろまてぃっくを離れて別の作品に触れたい。森薫「エマ」という漫画はいわゆる洋風メイドの生活を忠実に漫画化したものであり、そこにエロスの雰囲気は微塵も感じられない(きっとこれが東大メイド研究会に影響を与えたんじゃないだろうか)。18禁的な主従関係ではなく、あくまでもメイドの責務としての純粋な主従関係にスポットが当たっている。この辺りから、メイドというキャラクターが単なるフェティシズムの一つから、主従関係というメタ物語性を有するキャラクターへと成長していった片鱗が見える。

 そして他の多くの萌え要素と一緒に、物語から萌え要素のみが独立する。メイドの流行は「メイド=主従関係の記号、独特の服装etc」というイメージを一般的にし、メイドだけが一人歩きするようになった。

 それ以降、メイド主人公の作品というよりも、サブキャラクターの一人としてメイドを宛がうような作品が非常に多くなった。「月姫」の翡翠琥珀コンビ、「To heart」のマルチ、セリオ(メイドロボ)、「夜明け前より瑠璃色な」のミア(作画崩壊としてニコニコ動画で有名)など挙げればきりがない。

 一方でメイドを主人公に据えた作品はギャグ作品となる場合が多い。「花右京メイド隊」は主人公が数多くのキャラクターに囲まれる物語、「これが私のご主人様」は主人公が金のない少女二人を不本意にもメイドを雇ってセクハラするギャグ、「こはるびより」は純粋に奉仕したいメイドロボに対して主人公がメイドのフェティシズムのみを望むギャグ物語である。小説では「メイド刑事」といった変なジャンルの作品や、男が性別転換しメイドとなって働くことを余儀なくされる推理物風の「ぼくのご主人様!?」などが挙げられるものの、「まほろまてぃっく」ほとセンセーショナルな作品は存在しない。「まぶらほ」なんて完全にギャグである。

 主従関係とは別路線に、衣服やメイドの働く環境のみがピックアップされていったケースも存在する。「Pia♥キャロットへようこそ!!」というゲーム作品は喫茶店という場所で展開される物語に主眼が当たった作品であり、後のコスプレ喫茶ブームに影響を与えたようだ。自分の好きな作品では戯画の「パルフェ」も喫茶店舞台の作品であり、「ひぐらしのなく頃に」で登場する「エンジェルモート」という喫茶店もこの流れを汲むものであろう。最近では女装少年が喫茶店を経営する「ツイ☆てる」なんて作品まで存在する。ここでは主従関係はあまり着目されず、メイド、喫茶店員としての服装やその仕事が重要となる。同時にメイドの「他者との交換可能」である一面は薄れ、お互いの個性を尊重したヒューマニズムな作品となる場合が多い(「パルフェ」に関しては本当に一見の価値あり)。

 18禁から幾分離れた場所ではやり出したこれらの作品群がメイド喫茶の方向性を決めた。オタクたちはメイドとの主従関係を意識して上に立って優越感を抱くというようなことはなく、メイド喫茶という空間、またはメイドというキャラクターそのものに対して個々人の物語性を抱く。人々は本屋や映画館などに立ち寄るのと同じ感覚で、物語性を所望するためにメイド喫茶に足蹴く通う。実のところ、この点では秋葉原にはじめてきた単なる観光客と、どっぷり秋葉原文化に浸かった生粋のオタクとの間にさほど大きな相違は存在しない。観光も一つの物語発見の行為として位置づけることが可能だからである。目的が観光としての物語所望なのか、自らの脳内に広がっている物語空間を補完し、自らもそこに立ち入るための物語所望なのかという点にのみ異なっている。

 しかし、これらの文化の起源には前述したような18禁作品群がルーツとなっていることを忘れてはならない。別に18禁作品自体を卑下しているわけではないが、中には人格否定や物語にふさわしくないものが含まれるから注意したいということである。

 先述したギャグ漫画「これが私のご主人様」の同人誌「これが私の貞操帯」がすごい。現在、サークル「蛸壷屋」のホームページで無料ダウンロードできるので(http://www.takotuboya.jp/download.html)読んでみる事をお勧めする(できれば、原作も併せて)。最近、「けいおん!」で唯が死ぬというダークな作品を書いたということでも有名だ。

 主人公が金に物を言わせて自身のメイドにセクハラするというストーリーのスタンス自体は全く同一である。しかし中盤にかけて雲行きがどんどん怪しくなり、とてもダークな結末を迎える。メイドという存在そのものに秘められた弱さを指摘し、それをギャグでごまかしている原作に対し痛烈な批判・アイロニーを浴びせている。主人公のセクハラがエスカレートし、メイドの人格が否定され、単なる性奴隷と化す。共犯者みつきの笑顔が実に怖い。

 秋葉原メイド喫茶現役のアルバイト員を恐喝してわいせつな行為に及んだという事件がいくつか起こった。あくまでも物語空間と現実を混同してしまうのはその人自身の人格の問題であり、巷にあふれている物語自体には罪がないと僕は信じているのだが、こういう事件を起こされると困惑してしまう。

 メイドは現在、主従関係を単純に表す記号となっている。何の工夫もなくメイドという記号をサブキャラとして物語内に起用したり、メイドの人格も無視して主人公周囲のハーレムを築いたりするような作品も少なくないのが現実である。物語創作陣は今一度メイドが人間であることを強く意識し、人間性を簡単に捨て去ることなく、むしろメイドだからこそ可能となる心理の描写に心がけていただきたい次第だ。主従関係というのは密接であるように思えて、実は身分差という恋愛の障害であり、一つの恋が盛り上がるための絶好の要素でもある。メイドにはまだまだ無限の可能性があると思う。メイド喫茶で満足するのもいいけれども、何かメイド主人公のいい作品が生まれてくれないだろうか。


?参考?
http://www.geocities.jp/kikuties/keikoku/
5年くらい前に自分で書いたメイド小説。といってもホラーで、メイドを書きたいというよりもホラーを書きたいと思ったら必然的にメイドが必要だったという感じ。ひたすら慕ってくれるようなメイドもいいけれども、こういうパラドクシカルな関係も楽しそう。実はこの作品の発表当時、当該キャラクターに「殺されてもいいです」とまで感想に書いた見ず知らずのネット民まで存在した(笑)。ギャップ萌えの一つ?

まほろまてぃっく (1) (ガムコミックスプラス)

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