「夕焼小焼」の「小焼」って何?

本日、就職活動のため早朝に八王子駅到着。
なんと駅ナカで武蔵野うどん食えるんですねここ。駅ナカグルメ追加でございます。味の方は……なんというか、コシが足りなかったw

うどん食いながら発車メロディーを聞いていたのですが、これが「夕焼小焼」という童謡なのです。なぜこの歌なのかとかそういった話は多分西東京バスの路線図かwikipediaか何かをあたってもらえればわかると思うので割愛しますが、自分が気になったのはこの「小焼け」って何だろう、という話。

以下、○部分が引用です。→が私のコメント。
全てhttp://q.hatena.ne.jp/1063965340から引用。

○noren
大きなものと小さなものが対になっているという一説です。
「お馬の親子」に出てくる「なかよしこよし」も、「夕焼け小焼け」の場合と同じく大きなものと小さなものの対だと思います

→比較状況なんでしょうね。ただ、これだけだと「小焼け」が何なのかよくわかりません。

finalvent
URIでは接頭語「こ」関連の議論をしています。
 私見では
   焼け   →こやけ
   良し   →こよし
   はずかしい→こっぱずかしい
   しゃく  →こしゃく
   粋    →こいき
   憎らしい →こにくらしい
のように幹語のニュアンスを弱めています。

→ニュアンスを弱める理由が知りたい。

○iroha168
韻を踏んでいるんだと思います。Humpty Dumpty。。みたいなものだと。
この解説の「こよし」はちょっと仲良し
「こやけ」はちょっと夕焼けっていうのも
面白い解釈だと思います。

→ちょっと夕焼けって何?

○opponent

『引用文1』
ゆーやけこやけ2
夕焼け小焼け
三省堂新明解国語辞典によると、「夕焼けがだんだん薄れること」だそうです。】
【「夕焼け小焼け」の歌は、夕焼け→小焼け→日暮れ→鐘の音 という時のながれと考えると納得できるような気がします。】
(「面白いページ」はアーカイブに残っていますので末尾に入れました―引用者)
【「夕焼け小焼け」というのは、語調を整えるとともに、時の流れを凝縮して言い表すことばだったんですね。
 叙情たっぷりなこのことばは、いつどこでだれが生み出したんでしょうか。】

『引用文2』
夕焼け、小焼け: 6.「夕焼け、小焼け」 〜小焼けってなーに〜
【北海道富良野で夕日を撮影中に夕日だけを撮っている写真マニアに聞いたことをご紹介します。
夕日は夕焼けと一般的言われるが、実は夕日が沈んで暗くなった後に
もう一度赤く光る「夕焼け」が見える。
これを「小焼け」というそうだ。
知らない私は夕日が落ちて撮影機材を片付けようとしたときに、この話。
写真はビデオテープからキャプチャーしたもので、かすかに赤い陽が見られる。
気象状況によって見え方が異なるそうだ。】

『引用文3』
【この様子は、実は日本の童謡にいろいろありますが、夕焼けの歌があります。夕焼けというのは太陽が西の空に沈むときに空が赤くなるのを夕焼けと言います。太陽が沈んで10〜15分するともう一回空が赤くなります。これが「小焼け」と言うのです。夕焼けと小焼けは違います。その小焼けのときにならなければツバメはやってこない。ですから夕焼けのときに行ってもツバメは1羽もいません。しかし、小焼けになったときに行くとツバメがわっと集まってきます。】


→なるほど! これで「小焼け」の正体がわかりました。
引用文で詳しく説明されているように、「夕焼け」状態と「小焼け」状態は日没前後で物理的にも異なるものなのですね(ドップラー効果の救急車通過前と通過後とでも言うべきか……)。

普段、日没という現象に対して僕はただ空がオレンジになってだんだんグラデーション的に暗くなっていくという印象しか抱いていませんでした。しかし、自然とより近い距離にあった先人たちはきちんと物理学的にも正しく「夕焼け」という現象を捉えていて、歌詞に込めていたのですね。

そう考えると、「夕焼け小焼け」という言葉自体に、ただ空がオレンジ色に染まっているだけではなく、地球が自転して時が移り変わり、「夕焼け」から「小焼け」状態への移行が生じたという、とてつもなく大きな時間や空間の変化が凝縮されている気がしてきます。そう考えると、ただ田舎の日暮れを見ているだけではなく、地球の大きな流れを汲み取っているような気がしてきませんか?

柿本人麻呂の歌でこんなのがあります。自分の大好きな短歌です。有名なのでご存知かもしれません。

「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」

この短歌自体が一つのプラネタリウムだと言っても過言ではないでしょう。
自分の立ち位置を中心とし、東西方角それぞれを見ることで時の移り変わりを現し、ダイナミックな空間演出を行っています。
たった31文字である種の四次元空間を十分に表現していると思います。

「夕焼け小焼け」という言葉も、このように四次元的なイマジネーションを包括した語なのかもしれません。

普段の何気ない光景を見るだけでも、先人たちのように的確で味わい深いインプレッションを受けることもあれば、われわれのようにただオレンジに染まっている空という認識しか抱かないこともあります。われわれは、まったく同じ光景を見ていても、それぞれの各人の経験や知識によって世の中の見え方がまったく変化してきます。

まあほら、バスマニアとそうじゃない人がバスの区別付いたり付かなかったりするのもその派生でしょう。

「小焼け」という語自体、今ではまったく使われない言葉になってしまっています。しかし、その語は確かに日本で生み出され、童謡の中にもしっかり残っているのです。今一度、先人たちのような自然観に戻って物事を考えていきたいものです。