ドイツ・ビアライゼ(6−1)ユダヤ博物館

 翌朝、再びケルン中央駅に戻り、今回の旅行最後となるICEを待つ。ベルリンまで約4時間、ドイツの西から東へ移動する大旅行だ。混乱はあったものの、なんとか着席することに成功。ドイツ北部の長い旅が始まった。
 ICEにはボードビストロという食堂車がついていて、そこで食事をすることもできるし、軽食を買って自分の席に持ち帰ることもできる。カリーブルストセットというのがあったので頼んでみた。500mlのビールとカレー味ソーセージ、さらにはパンが二個もついて5.5ユーロというびっくりお値段のセットである。
 しかし注文すると今何かがないと店員が言い出した。その単語の意味がわからなかったので英語できるかと聴いたらできないとのこと。ドイツ語でなんとかコミュニケーションをとってみると、どうやら後で座席まで届けてくれる、とのことらしい。33号車にいると告げると向こうも「一番端っこの車両ね」とわかってくれたらしく、とりあえずビールをもらって自分の席に戻った。いったい何がんくて調理に時間がかかるのかよくわからなかったのだが、まあきっと届けてくれるんだろうと気長に待っていたらちゃんと紙袋の中に料理を入れて運んできてくれた。ありがたやありがたや。なんとかドイツ語通じてよかった。
 ビール片手にカリーブルストである。これについては後ほどベルリンで博物館に立ち寄ったので子細に書こうと思う。ビールも生ビールでめちゃくちゃうまいし、残ったカレーのルーにパンをつけて食べればお腹いっぱいだ。みなさんも、ICEに乗ったときには是非カリーブルストセットをお試しあれ。
 列車は20分以上遅延していた。さすがにこのくらい遅れるとICEでも遅延を謝罪する車内放送が流れる。まあ、それで車掌に文句を言う人もいないし、きっとこのくらいの遅延なんて日常茶飯事なのだろう。時計と時刻表を見比べながらぶつぶつ言っていたのはきっと我々くらいなものだ。それにしても、車内放送がドイツ語と英語の二種類流れるのは新鮮である。自動放送はなく、すべては車掌による肉声であるため、ICEの車掌は英語が必須となるに違いない。日本の鉄道でも、せめて新幹線と成田エクスプレスくらいは緊急事態のために車掌の英語肉声放送があってもいい気はするが、どうだろうか。ドイツは英語がけっこう使えるので(さきほどのボードビストロでは使えなかったが)いざというときはなんとかなるものの、ドイツ人が日本に来たらやはりまだ大変だろう。日本でも英語の表記や放送が増えてきているとはいえ、玄関口である成田空港のトイレにあった英語の説明文の文法がおかしくて、外国人による訂正が落書きされていた。せめて、こういうところの英語はしっかり外国人にも違和感のない英語にしてほしい。

 ICEを降りるとそこはベルリン中央駅だった。約10年ぶりくらいのベルリンである。赤と黄色の混ざったSバーンで動物園駅まで移動する。

 ご存じ「エミールと探偵たち」で主人公が寝過ごして着いてしまった駅である。雨の中歩いていくと、空襲で焼けてしまったカイザー・ヴィルヘルム教会が目の前に聳え、歩行者用信号機はかの有名な「アンペルマン」であった。両親の新婚旅行で訪れたのが東西の壁崩壊前のベルリンであり、僕がかつて訪れたのは壁崩壊して数年後のベルリン、そして成人した僕は再びベルリンに戻ってきた。フランクフルトやミュンヘンなどとは異なる情感がこみ上げてきた。
 ホテルに荷物を預けると、Uhlandstr.駅から地下鉄U1に乗っていざユダヤ博物館へ。これでHallesches Tor駅まで行くはずだった。


↑自動券売機


↑刻印機

 昔の銀座線みたいな黄色の列車が豪快に現れた。おもむろに乗り込む。次の駅までは何の問題もなかった。その次の駅、Wittenbergplatzに着いた瞬間、謎の放送が流れると、急に扉が閉まり、列車はなぜか元いた方向へと折り返し運転を始めた。
 なんだこれは。行き先はちゃんと目指す方向になっていたのに、いつの間にか途中駅で逆に動いている。Kurfuerstendamm駅で降りて再び先ほどの列車に乗ると、やはり始発から二駅目のWittenbergplatzで止まってしまった。駅に降りてうろうろすると、地下鉄工事中の旨書いてある表示があった。

 これにはびっくらこいた。せめて、もうちょっとわかりやすく表示してくれないだろうか。日本の地下鉄は昼間のこんな時間に長時間工事に入ることはまずないし、工事があったとしても車内掲示や駅掲示、放送などをもっと徹底するはずである。まあ、ベルリン交通局に文句をつけてもしょうがないので、こういうもんなんだなーと思い、別の地下鉄U5に乗り換えてユダヤ博物館を目指した。
 この地下鉄が結構おもしろかった。ベルリンの市街地を縦横無尽に走り、地下を走っていたかと思えばいきなり外に出て、かなり高いところをぐんぐん走っていく。地下鉄の車内にはベックという安くてメジャーなビールをポケットに差しながら飲んでいる若者がいたり、列車内の喫煙は罰金なので列車に乗る直前に足で踏みつぶして車内に副流煙をまきちらす若者がいたりと、かなりフリーダムである。フランクフルトやミュンヘンもそうだったが、列車の加減速が速い速い。Stadtmitte駅でU6に乗り換えた。この駅は駅同士がちょっと離れていて、連絡通路をしばらく歩かなくてはならない。U6は日本の地下鉄並みに混雑していた。元々の目的地であるHallesches Tor駅で降り、しばらく歩くとユダヤ博物館に到着した。

 入口が混雑していたので何事かなとおもっったら、どうやら厳重なセキュリティーちぇっくがあるらしい。空港以上の厳戒態勢で、ベルトをはずし、荷物を赤外線に通して自分もゲートをくぐる。考えてみれば、ユダヤ博物館なんてネオナチ絶好の爆撃対象なのであある。だからこんなにすごい体勢なのか。自分が経験した、今までもっとも物々しい博物館の一つとなった。これに並ぶのは、ローテンブルグの拷問博物館と東京都目黒区の寄生虫博物館くらいだろうか。
 建物全体がいびつな形をしていて、これはユダヤ人とアーリア人の複雑な関係を表しているらしい。エグザイルなんとかという庭があったので行ってみたら、巨大な棟が等感覚に並んでいて、それ以外は何の展示もない。どうやら何かのアートらしい。エグザイルと聴いて例のアーティストを思い出したのだが、全く関係なかった。
 展示の前半はよくわからなかったものの、ユダヤ民族の歴史や伝統など一部興味深いものがあった。博物学が発達しているドイツらしく、展示物も参加型のものが多い。ユダヤ文字を並べて単語を完成させるコーナー、ボタンを押して解説の映像を聴く奇抜なデザインの置物、などなど。清潔好きのユダヤ人は取っ手の二つ付いた手桶を利用していて、手を洗う際にまずは片手で桶を持ち反対側の手を洗い、こんどは桶の清潔な方の取っ手を持って逆側の手を洗うというような伝統など。
 後半に行くに連れてだんだん見覚えのある展示になってくる。ユダヤ人から数多くの文化人が輩出された。言わずとしれたアインシュタインなど物理学や科学のジャンル、哲学でもベンヤミンなど、文学ではカフカ、その他大勢の名を馳せたユダヤ人の偉業が展示されていた。ヒトラーの政策は、これらドイツの文化的発展を支えてきた人々の功績を台無しにした、というのも歴史的事実である。歴史にIFはないとよく言われるが、もしもユダヤ人迫害など起きていなかったら、ドイツは今よりも文化的に発展した国として世界に君臨していたかもしれない。惜しいことをしたな、というのが僕の素直な感想だった。これだけの文化人が迫害などにおびえることなく、自由に自らの才能をのばすことができていたとしたら、どれだけの可能性があったのだろうか。
 密かに登場を予期していて、やはり大々的に展示されていたのはアンネの日記を執筆したアンネ・フランクであった。遠く離れた日本でも有名である。今年の芥川賞受賞作がどうやらアンネの日記に基づいた話らしい。ベルリンの大きな博物館に今も大々的に語り継がれるほど、この少女が克明に書き記した書物の歴史的意義は大きい。
 館内には「あなたはどっち?」という機械がいくつか置いてあって、YESかNOで答える質問が用意されていた。「文化の異なる民族が移民としてあなたの国に来た場合、あなたは彼らを保護したいと思いますか?」などといった質問。YES派の人もNO派の人も同程度の人数がいる。これらの問題が一筋縄ではいかないことを自分に教えてくれたような気がした。