秋田温泉旅行 その1

 午後二三時五六分、冷たい夜風が目の前を通り抜ける埼玉県のJR行田駅。ベンチに座り、自分は時計の文字盤をじっと眺めていた。今日は東北旅行の初日である。どうしてこんな場所にいるのか疑問を抱く人がいるかもしれないので簡単に説明しよう。

 快速ムーンライトえちご。新宿始発、池袋を経由して高崎線上越線をひたすら北上して新潟に至る快速列車である。快速列車であるため、ちまたで話題の「青春18きっぷ」で乗車することができるが、「青春18きっぷ」は1日単位の普通列車自由乗車券であり、一方でムーンライトえちご新宿駅を出発するのは23時10分のことである。日付変更時刻を越えて列車は走るため、本来ならば青春18きっぷが二日分、もしくは午前0時を過ぎてから最初に停車する高崎駅(1時13分発)までの乗車券が別途必要となる。新宿から高崎までの料金は1890円。わりと馬鹿にならない値段だが、これを節約する方法が一つだけある。快速ムーンライトえちごの停車駅は新宿、大宮、池袋、高崎。一方で、この列車の前を走る普通列車高崎線内を各駅に停車していく。北鴻巣0時01分、吹上0時04分、行田0時07分、そして高崎到着は0時55分。前日までの料金を北鴻巣まで支払い、当該列車を利用して高崎でムーンライトえちごに乗り換えると、北鴻巣―高崎までの運賃を節約できる。これが案外大きくて、ざっと1000円くらいの違いはある。
 自分は夜7時くらいに家を出発し、北本駅から徒歩15分ほどのところにある温泉で時間を潰してから当該列車に乗るという計画を立てた。浮いた金で温泉入浴回数を稼ごうという作戦である。
 北本天然温泉「楽市楽湯」は少し古めのスーパー銭湯に温泉入りの露天風呂を付随させたような施設だった。駅からは多少あるくものの国道沿いの好立地で客入りはかなりある。内風呂は全て白湯であるが、「楽市楽湯」の名の通り、入浴を楽しむということがコンセプトとしてあるらしい。ジャグジー風呂が充実しているのはもちろんのこと、本格的な電気風呂、お湯の中で歩行することを主眼においた浴槽、そして最も気になったのは階段状の浴槽から屹立しているジャングルジムのような鉄柱である。一体何なんだこれは。
 親切にも各浴槽にはいかに施設を利用するのかというイラストが描かれていて、ジャングルジムの麓には女性が裸体のまま「うんてい」の要領で浴槽内を移動している様が描かれていた。滑稽すぎて卑猥さは全く感じられない。この棒にぶらさがって移動すると確かに下半身はお湯の中に入り、通常の「うんてい」よりも比較的楽に移動することが可能である。しかし、こんな施設を導入しようと考えた人は一体何を思って採用したのだろうか。ジャグジー風呂は一通り試したものの、これだけはさすがに手つかずのまま浴場を後にした。ちなみに、比較的好印象だったのはボタンを押すとジェット噴射で身体が浮かび上がる浴槽である。逆に肩こりを治すというジェットはよく分からなかった。
 温泉の方は関東でよく見られる茶褐色のお湯で、通常よりも若干薄めだという印象を受けた。それでも露天風呂の雰囲気は良好で、泉質のためか肌はすべすべになる。まあ、新宿から乗って高い料金を払うよりは良い選択をしたと考えている。
 北本駅に戻り、230円を支払って行田駅へ。本当であれば北鴻巣までの乗車券で当該列車に乗り、列車内の車掌か高崎駅の駅員に申し出ることもできたのだが、高崎駅は混雑が予想されたし、なんとなく駅の人に印を押してもらいたかったので行田駅まで行くことにした。吹上にしなかったのは北本からの料金が同じだからである。
 行田駅改札前のベンチ。寒さをこらえながら0時00分を確認し、行田駅の改札へ足を運ぶ。駅員の方も僕がやりたかったことを了解したらしく、快く青春18きっぷを手にしていた。そのまま印を押すのかと思いきや、一旦机の中をまさぐり、大切そうな木箱を取り出した。箱を開けるとそこにはとても小さいゴム製の粒がびっしり並んでいて、端にはピンセットがあった。そのまま駅員はピンセットを手に取ると、活版印刷の要領で印の日付を取り替えて、僕の青春18きっぷに印を押してくれた。3月21日、行田駅。感慨深い瞬間だった。青春18きっぷを受け取ると、駅員に見送られつつ、夜のホームに滑り込んできた高崎方面の列車に飛び乗った。

 高崎駅の窓口は案の定混雑していた。快速ムーンライトえちごに乗ろうと考える人自体が鉄道に一定以上の知識を有する人であるから、当然この裏技は知っているのだろう。そんなことを考えつつ、ホームには国鉄色の車両が到着。かつてはエル特急の名で親しまれ、特急列車といえばこの車両だと一世を風靡した車両も、現在はこんなところで活躍している。車内にはすでに乗客がたくさんいたが、これに乗り込むのはまだ早い。高崎線の反対側ホームにいくらかの人々がカメラを向けている。上野からやってきて当駅で快速ムーンライトえちごを追い越し、一路金沢を目指す急行能登が到着である。こちらはもうほとんど見られなくなってしまった国鉄色のボンネット車両が使われており、これに郷愁を感じる人も多いのではないだろうか。こうして午前一時過ぎの高崎駅には国鉄時代に活躍した盟友が揃い、それぞれ北陸・新潟へ向けて闇の中を再び走り出していった。
 この時期のムーンライトえちごは満席である。まあ、新潟まで格安で行けるので有れば多少労力を払っても使おうという人はいるだろう。自分の隣は結局最後まで空席で、特に気兼ねなく利用することができたが、自分の近くに座っていた親子連れの赤ちゃんが夜通し泣いていて、結局眠れたかどうかわからなかった。新潟到着は4時51分、あっという間の旅路であった。
 すぐの接続で白新線の快速列車に乗車。使用されていたのはロングシートE217系で、特にこれという特徴もない車両なのだが、個人的にはちょっとした思い入れがある。ちょっとマニアックな話をすると、制御装置に東洋製のVVVFインバータ(GTO素子)が使用されており、これは東急多摩川線・池上線を走る主な車両と同じである。かつて自分は洗足池に在住していて、その頃に出会った友人が新潟に引っ越したため、小六の時に彼の元へ会いに行ったのだが、そのときに「地元を走っていた列車と同じ音がするね」という話題で盛り上がった車両がこれなのである。そんな彼は兵庫県に移ってキリスト教の洗礼を受けたらしいが、今頃どうしているだろうか。
 さて思い出の車両の中では爆睡し、羽越本線の村上で乗り換えた普通列車の中でもほとんど眠っていた。本格的に目が醒めたのは山形県酒田駅で、一時間半ほど待ち時間があったので駅前散策をしようかと思ったが寒くて断念、駅弁を買って朝食にしようと決意した。酒田駅の名物駅弁は「ががちゃおこわ」。つい最近売り出したらしく、だだちゃ豆を用いたうるち米が駅弁の中に敷き詰められているだけのシンプルなものである。豆の芳醇な味がご飯全体にしみこんでいてとても美味しい。そこまで量が多いわけではないので、ちょっと小腹を好かせた時にもってこいである。

 さて、駅弁を食べてしまってついにやることがなくなり、時刻表を繰っていると酒田駅には羽越本線だけでなく、陸羽西線も発着することに気がつき、ちょっと近くの駅まで往復しても時間が余ることが発覚した。思い立ったが吉日、0番線に停車していた新庄行きのキハ110系に乗車。キハ110系は今や東北地方の気動車の代名詞であり、関東地方でも八高線などに用いられているが、この列車はいつ乗っても良いものである。座席は2列・1列のクロスシートで長時間乗っても腰が痛まないほど柔らかい。加速も早く、気動車としてはとても優秀である。陸羽西線陸羽東線にはここだけのオリジナルカラーの車両が存在していて、それぞれの愛称である「奥の細道最上川ライン」「奥の細道湯けむりライン」を全面に押し出している。この列車がキハ52系など国鉄時代の英雄を駆逐していくことは残念なことであるが、この列車自体に罪はないし、すっかり東北の顔として定着しているので愛着が沸くのである。

 結局酒田から二つ目の砂越駅まで往復し、酒田からは再び羽越本線の旅を続けた。途中下車したのは山形県の北限から二つ目の駅である吹浦駅。ここから徒歩15分のところにあぽん西浜という公共温泉施設がある。料金は350円、内湯は良くある塩化物系の一般的なお湯で、サウナや水風呂が付いているのは便利だなという感想を抱いたが、それ自体は大したことがなかった。驚いたのは源泉かけ流しの露天風呂で、こちらはこぢんまりとしていながらも内湯とは全く異なる良質のにごり湯が岩風呂を満たしている。施設名の「あぽん」というのは身体が良く暖まるということを意味するらしく、その看板に偽りはなかった。もともと塩化物系の温泉は「熱の湯」という愛称が付くほど保温効果があり、有名どころでは熱海温泉などが挙げられる。
 あぽん西浜の隣にあった施設で昼食。「ざる中華」という謎の商品を注文してみたところ、出てきたのはラーメンの麺をそばの汁に浸しながら食べるという、文字通り「ざる中華」でなんだかげんなりした。
 食後、やや時間が余ったので西浜海岸を散策。防風林はグリム童話を彷彿とさせる森の中だが、砂の坂道を登っていくと眼下に広大な日本海が広がる。遠くの方で釣り目的の客が蠢いている以外人の気配はなく、しばし雄大日本海を眺めていた。この時は天気も穏やかで最高の景色だった。目の前は砂浜と日本海、そして背後には雪を被った鳥海山の勇姿。なかなか良い旅の思い出となった。


 一度駅に戻ったがそれでも時間が余った。周囲に誰もいなかったので吹浦駅に掲げられたご当地の鉄道唱歌を高らかに歌ってみたり、無為に写真を撮ったりしてみたがとても暇だったので近くの神社へ行くことにした。その名も鳥海山大物忌神社、行ってみると予想よりも立派な神社で、本殿の隣にずっと上まで続いている階段がある。興味本位で登っていくと素晴らしく立派な社殿が待ちかまえていた。賽銭箱の前に看板があり、どうせこの中は立ち入らないで下さいとでも書いてあるのだろうと思いきや、近くで見てみると「ご参拝お疲れさまです」との旨。さすが山形、良心的である。後で調べてみるとどうやら鳥海山山岳信仰を担ってきた由緒正しい神社であり、行ってみて本当に良かったと思っている。旅は思わぬ出会いがあるから面白い。

 再び羽越本線の旅を続けよう。
 山形県の北限である女鹿駅の廃墟のようなたたずまいはすごかった。

 次の下車駅は秋田県岩城みなと駅。なんだか人名のような駅だがこちらの近くにも温泉施設があり、お湯自体はたいしたことがないが、広大な日本海を眺めながら温泉に浸かることができる。岩城みなと周辺は比較的近年に開発された区域で、漁業やスモモで有名である。特産品のスモモソフトクリームを食べてみたが美味しかった。

 秋田駅奥羽本線に乗り換えてそのまま横手まで。横手駅は昨年の夏に訪れてマイナス30度の極寒体験ができるかまくら館を訪れ、駅前で先輩と偶然に遭遇した思い出の場所だが、今回はさほど町歩きをせず、駅前徒歩1分のホテルが本日のお宿である。ホテルの10階に部屋があったが、横手駅から横手の町並みを一望できる素晴らしい眺めの部屋だった。夕食は横手やきそばと味噌味のきりたんぽ。横手やきそばはソースの水分がやや多めで目玉焼きの載った焼きそばである。きりたんぽは非常に美味だった。お米が違うのだろう。味わい深い味噌と相まって絶妙である。
 このホテルは横手駅前の一等地を牛耳っている企業の傘下であり、ここから歩いて1分のところにある同系列の温泉施設の無料入浴券が二枚もらえるのである。こちらは比較的新しい建物でとても清潔感があり、お湯は無色透明ながら気持ちよかった。今まで旅行して様々な宿泊施設に泊まってきたが、コストパフォーマンスを考えてもここはその中でも相当良い宿だったと言える。

秋田温泉旅行 その2

 余談だが、自分は旅行の際に荷物削減のために使い捨ての下着を利用している。100円ショップで5枚入りの紙製ブリーフで、破れやすい欠点はあるものの、旅先でポイッと捨てられるので重宝している。この日も、後で大変な目に逢うことは露知らず、この紙製下着を着用していたのだった。
 翌朝7時25分、清々しい気持ちで秋田行きの奥羽本線に乗り込んで大曲で乗り換え、田沢湖線普通列車田沢湖を目指した。田沢湖線秋田新幹線が通る路線なのだが普通列車が極端に少なく、青春18きっぷの攻略難関路線である。朝8時26分に自分の乗った列車は田沢湖駅に到着するのだが、次に田沢湖から盛岡方面の普通列車が来るのは15時44分である。特急券払ってこまちに乗りなさいといわんばかりのダイヤ設定だ。
 実は旅行計画段階で、田沢湖から新玉川温泉までバスを用いて、花輪線の八幡平方面へ抜けるという予定だったのだが、冬季は玉川温泉から鹿角方面へ抜ける道路が全面閉鎖されるらしく、バスの運行が全くないというショッキングな事態が発覚し、急遽田沢湖から比較的近い乳頭温泉に変更したのだった。それでも乳頭温泉田沢湖スキー場からさらに山奥へ行った場所であり、鬼のように雪が積もっていた。春という季節をみじんも感じさせない、冬そのものの光景で、当初は道路閉鎖が信じられなかったが、現地に来てみてそれを痛感させられたのだった。
 乳頭温泉行きの羽後交通バスは観光タイプの大型バスで、車内放送がとても特徴的である。語尾が上がってイントネーションが少しおかしいので、乗っていた他の乗客もくすくす笑っていた気がする。バスは田沢湖畔を経由して山を登っていった。途中から国境の長いトンネルを抜けずとも雪景色になっていた。
 向かった乳頭温泉郷は大小8つほどの温泉旅館で構成される山奥の秘湯であり、それぞれの旅館で全く異なる源泉を用いているのが最大の特徴である。それぞれの旅館は一応歩ける程度の距離にあるのだが、最も有名な鶴の湯だけはやや離れた場所にあり、通常ならば手前のバス停で降りて送迎バスを利用する。送迎バスの通る道を歩いてもなんとかたどり着くし、少し奧の「鶴の湯旧道口」というバス停から旧道を歩いて行くこともできるらしい。後者を採用しようとした若者が一人居て、旧道口の手間でバスブザーを鳴らした。ところが、バスが停車してから運転手が一言。
「本当にここで降りるんですか?」
見ると、旧道と思しき道路は雪の山。通行できる気配はない。若者の顔が青ざめていくのがわかった。結局彼は手前の道路まで戻って送迎バスの通る道を用いることにしてバスを降りていった。絶望するな、では失敬。

 手始めに終点の乳頭温泉バス停から最も近い大釜温泉から入浴することにした。こちらは乳頭温泉郷で最も源泉が強く、強酸性でpHがなんと2.6もある。内湯は木造の暖かみのある施設に褐色を帯びた強酸性の湯が満ちていて、露天風呂はこぢんまりとした熱い湯である。ちなみに露天風呂はもう一カ所あるようだったが、ドカ雪の下に隠れていて氷が張っていた。この露天風呂が営業していることの方が奇跡的なのだろう。
 お湯は気持ちいいがなにしろ熱い。入った時刻が悪かったのか狭い浴槽は数多くの客で芋洗い状態、早々と露天風呂に逃げるも熱すぎて入れない人続出である。温泉慣れしている自分は入ることができたものの如何せん熱い。強酸性のせいか肌がしょぼしょぼしてきて、なんだか落ち着いて入っている場合ではなかったので早々に上がってしまった。それでも身体はホカホカと暖まり、温泉の効果は甚大だったと言えそうである。
 お次に向かったのは孫六温泉。県道を離れ、車の通れない雪道をひたすら15分歩いたところにあるのだが、雪道と言ってもやや拓けたところを歩き、先達川沿いの雪景色が実に見事だった。冬の只見線を旅しているような気分になれた。

 温泉施設は昔ながらのプレハブ小屋を並べた、つげ義春の漫画に出てくるような鄙びた湯治宿が奇跡的に平成の時代まで残存しましたという感じの場所だった。全て自家発電でまかなっているため、部屋にテレビの設備はないらしい。本当に湯治目的の人のための宿である。
 入浴の前に本日の昼食を。600円で山菜うどんを食べられるのだが、これが非常に美味しい。つるっとした稲庭うどんもさることながら、山の幸をふんだんに用いた漬け物やうどんトッピングの類がとにかく美味である。これは大正解だった。

 さて、入浴である。前調べでは、どうやら一部は混浴であるらしい。同じように混浴の「鶴の湯」とどちらにしようか迷い、あちらは人気のためあまりに人が多く、混浴どころではないだろうなと思ってこちらの孫六温泉を選んだのだが、果たして更衣室から浴場を覗いたら誰もいなかった。これはひょっとして失策だったかと不埒なことを考えていると、更衣室から浴場へ続く木製の階段から足を滑らせて思いっきり転倒した。ここまで見事に転んだのは久しぶりである。自分が転んだということを認識してから腰の辺りが痛み出すまでタイムラグがあったが、足の先から腰の辺りまで何から何まで痛かった。激痛を引きずりながら温泉に入浴、主に傷の辺りがひりひりするのは温泉が良い証拠だろう。硫化物系のお湯は木製の床を大変滑りやすくするため、注意が必要である。というか、不埒なことを考えていた罰が当たったのだろう、きっと。
 さて、気を取り直して露天風呂に出てみる。目の前には雪を被った山の広大な景色が広がり、岩場の間に湯の華を湛えたぬるめのお湯が沸いていた。まさに雪山の中のオアシスで、温泉の質も素晴らしい。今までいろんなところに行って来たが、ここまでの秘湯に巡り会えたのは福島県の野地温泉ホテル以来である。途中からやや雨が降ってきたが、本当に大満足の瞬間だった。
 岩の湯と名付けられた場所以外にも辛子の湯という建物があり、こちらへ移動する際には一度服を着なければならない。それ自体は問題ないのだが、例の使い捨て下着を着用してみると、なんだか違和感が隠せなかった。よく見ると、繊維の先から下着が溶けてきている。これはきっと最初に入った強酸性の大釜温泉のせいに違いない。なんということだ。まあ、かろうじて原型は保っていたので、そのままにしてその日の宿である盛岡まで持ちこたえた。
 閑話休題、馬鹿話は置いておいて旅を続けよう。孫六温泉に続く先ほどの道を戻り、県道をどん詰まりまで歩くと見えてくるのは蟹場温泉である。こちらは地元のファンも多いらしい名湯で、バスの時間を考慮するとこちらが今回乳頭温泉郷で入浴する最後の温泉になりそうだ。

 なんとこちらにも混浴露天風呂があるそうで、宿の玄関から一旦脱いだ靴を手に持ち、宿の裏口で靴をはき直して再び雪道を50mくらい歩いていくと眼下に突如として露天風呂が現れる。こちらでは老夫婦が互いの旅の思い出を語りあいながら入浴していた。露天風呂は十分広く、少し離れたところで肩までお湯に浸かる。山奥まで来たんだなという感慨が溢れだした。
 蟹場温泉は内湯も有名で、秋田杉を用いた木風呂は僕の貸し切り状態だった。こちらの源泉は無色透明であるが、孫六温泉のものよりも大粒の湯の華が湯の中をたゆたっている。湯の華の粒をすくい上げて指でこすり会わせてみると、それらは硫黄の残滓となってお湯に溶けていく。この浮遊物に湯の華という名称を与えた先人のセンスは素晴らしいと友人は語っていたが、こうして立派な湯の華を目にすると、その華やかな名前も至極当然のことかもしれないと思えてきた。孫六温泉の秘湯感と蟹場温泉の湯の華は今回の旅に於ける最大の思い出である。

 羽後交通バスで再び田沢湖駅へ戻ると本格的に雨が降っていた。駅の中は観光客で溢れていて、その中の一人は「KAWAGUCHI」と書かれたシャツを着ていた。はて、河口湖のことだろうかと考えてみたが、結論から言えば埼玉県の川口市であった。同じ団体と思しきおばちゃんが有していた保冷バッグが決め手となった。端をそれぞれテープで留めているが、これは間違いなく埼玉県で店舗を広げている「ぎょうざの満洲」の保冷バッグである。まさか遠く田沢湖駅で巡り会うとは。よほど声を掛けようかと思ったがやめておいた。見知らぬ人に「それってぎょうざの満洲のバッグですよね?」と声を掛けられたらどんな気持ちになるだろうか。
 田沢湖駅は最近開業したミニ新幹線の駅らしく近代的な設備で、二階には付近の自然をPRするための施設があった。だが、良く見てみるとなんだか自治体による玉川ダムの宣伝がメインであるらしい。映像も見てみたが、なんだか音声は小さいし玉川ダムがどうのこうのというメッセージばかり伝わってくる。ちょっと露骨かな。
 ようやく到着した田沢湖線普通列車に乗り込むと、次の赤渕駅までの間、信号所で二回停車するとの放送が入った。主にこまちとの待ち合わせなのだが、最初の信号所では特に音沙汰もなく停車後にすぐ発車してしまった。一体何なんだろう。

 そして田沢湖線の真髄を知るに至る。トンネルを抜けて雪まみれの崖を走り抜け、ひたすら山岳の中を邁進していくのである。この電車がここを走っていくことが奇跡的にすら思えたが、それよりもここに新幹線を通そうと考えたという発想がすごい。秋田新幹線、恐るべし。あんなに可愛らしい愛称でありながら、毎日この過酷な線路を行き来しているかと思うと鉄道の偉大さを改めて感じる。そして、これならば普通列車の本数が極端に少ないことも頷けるような気がした。
 普通列車は信号所以外の各駅でも列車の通過待ち・行き違いを頻繁に行い、なんだか東海道新幹線でこだまに乗っているような気分にさせられる。特に雫石の駅では時間がかなり余ったので改札を抜けて駅の構内を練り歩いた。雫石は宮沢賢治ゆかりの地であり、銀河ステーションと愛称が付されていて、二階の通路の屋根には立派な銀河のイラストが描かれている。他にも「雫石あねっこ」をキャラクターとして売り出しているらしく、売店には関連グッツが多種多様に売られていた。
 盛岡に到着後は雨に降られつつも宿にチェックインし、国際興業バスの中古車である岩手県交通のバスに乗って盛岡名物の冷麺を食べた。駅前のぴょんぴょん舎という有名な店で中辛を注文してみたが、わりと辛かった。宿はスーパーホテルという全国展開をしているチェーン店の格安宿である。

秋田温泉旅行 その3



 宿でゆっくり朝食を摂り、駅前からふらふらとバスに乗って厨川駅前で下車。駅前は晴れているにもかかわらず雪が降っていて、新幹線の線路をふと見ると「ファステック」が走り抜けていった。花巻線からの列車が遅れているとのことだったが、自分が乗る予定の列車は時間通りにやってきた。
 花輪線は途中まで順調な走行を続けていたが、松尾八幡平を過ぎた辺りから吹雪になり、安比高原では前の視界もままならないほどの大雪となった。旅行出発前に母親と「今の時期なら地吹雪ツアーが津軽鉄道でできるんじゃない」「まさか、記憶の頃より地球はだいぶ温暖化しているよ」という会話を交わしたものの、僕の意に反して本当に地吹雪ツアー開催となってしまった。ついに荒屋新町を出たところ、雪山の何もない場所で一両編成の列車は立ち往生。乗務員同士が慌て出し、電話で連絡を取り始める。「ただいま関係各所に連絡しております」とのこと。恐怖の時間である。しかし、悪い予感は外れて列車は難なく動き出し、スイッチバックをする十和田南では定刻通りに戻っていた。
 何やら天気も晴れてきたようで、うかれた気分でいたら昨日転んでぶつけたところが痛み出す。なにやらこちらの方も「腫れてきた」ようである。旅はどんなハプニングが待ち受けているか本当にわからない。

 花輪線はほぼ定刻通りに大館駅に到着。昼食はこちらの駅名物の駅弁、「鶏めし」に決定。鶏肉と味のしみたご飯の取り合わせである。これを奥羽本線の車内で食し、列車はまもなく青森駅に到着した。
 青森駅青函連絡船の発着駅として栄えた場所で、ホームの前方には青函連絡船用の連絡通路があるが、今は閉鎖されている。海岸には八甲田丸が止まっていて現在は博物館として営業しているが、あいにくその日は休館日だった。それでも本州で最も北に位置するターミナル駅へ到達できたことは非常に感慨深く、海の近くまで歩いていって思わず感嘆の声を漏らしてしまった。その後、駅で「生まれて墨ません」という太宰治をモチーフにしたおみやげを購入し、浅虫温泉行きの列車に乗った。
 列車は陸奥湾沿いをかろやかに走行してほどなく終点の浅虫温泉に到着。その次にやってくる八戸行きまでの約40分間のうちに温泉に入ってしまおうという強行軍である。幸いにも駅からペデストリアンデッキを渡ってすぐのところに温泉施設があり、荷物を押さえながら歩いていったのだが、とにかく海から吹き付ける風が強い。今まで経験したことのないような風の強さで、海に向かって歩いていくと呼吸がまともにできないくらいである。風に耐えながら大急ぎで施設の中に入って、列車が駅に到着した5分後には浴槽の中に浸かっていた。

 こちらの施設もお湯はたいしたことがないが、海のパノラマがとにかくすごい。岩城みなとで浸かった温泉よりも海の光景は荒々しく、露天風呂はなかったが風が強いのでこれでいいやと思ってしまった。浴槽は熱めとぬるめの二つに別れていて良心的である。駅から近く、風光明媚だというのが最大の利点であろう。
 再び風に耐えながら駅に戻り、列車に乗り込んだ。すると案の定列車の方も途中で止まってしまった。風が強すぎるため、次の西平内駅まで時速25キロの減速運転を行うとのことである。
 行く末を憂いていたが、西平内からは通常の速度での運転に戻った。八戸から青森にかけての東北本線沿いには鉄道防雪林が整備されている。特に野辺地駅前に広がるものは日本最古の鉄道防雪林として鉄道記念物に指定されているらしい。鉄道記念物の存在自体を初めて知ったが、確かに車窓から木々を眺めてみると神々しい。以前、鉄道の趣味を紹介するテレビ番組で「鉄道防風林マニア」が紹介されていて、その時は訝しく思ったものの、こうして自然の偉大さを目の当たりにしてみると、なんとなくその気分が分かってしまうから不思議だ。
 列車は奇跡的な回復運転を見せて、10分ほど遅れて八戸駅に到着。新幹線ホームに今朝みたファステックが停車していた。しかし僕はそれを注意深く見ることなく、駅前バスターミナルへ向かった。
 自分の所属しているサークルにはバスマニアの先輩がいて、八戸の南部バスには是非乗ってこいと言われていたのである。南部バスでは京急バスの中古車であるいすゞCJMが数多く残存していて、モノコックの大型車に乗るまたとない機会なのである。

 八戸駅前バスターミナルにそれらしきバスがやってきたので慌てて飛び乗った。外壁は錆び付いていてところどころ穴が開いている。車内も木造の床で、いかにも古いバスである。方向幕には中心街・ラピアと書かれていて、最初に脳裏を掠めたのは「このバスは一体どこへ向かうのだろうか?」という疑問だった。新幹線の発車時刻までは二時間ほどあったので別に問題はないと思ったが、それにしても自分の乗ったバスがどこへ行くかわからない。アメリカの「Down town」じゃああるまいし、中心街ってどこなんだろうとバス車内で路線図を探すも見つからず、運転手に発車するので座って下さいと怒られてしまった。仕方がないので中心街まで着たら降りようと模索しつつ、いすゞCJMに揺られて見知らぬ土地を目指した。途中で降りても良かったのだが、経由が違うと本数が少なくて路頭に迷うと嫌だったし、せっかくなら中心街を見てみようと思ってそのまま乗り続けた。新幹線の発車時刻は刻々と迫っていたが、まあなんとかなるだろうという鷹揚な気持ちで望んだ。
 確かにすごいバスである。モノコックというのはフレーム構造を持たない車のことであり、バスの揺れが直に伝わってくる。エンジン音もとにかく激しく、古くさいなあという感慨よりも、よくここまで持ちこたえていたなあという印象の方が強かった。結局先輩の言うとおりに乗ってみて良かったと今では考えている。
 「中心街」という名称そのもののバス停は結局存在しなかった。○○日町というバス停が連続する箇所がどうやら繁華街らしく、適当にバスを降りてみると、どうやらそこが八戸市の中心街だったらしい。どちらかと言えば本八戸駅の方が近いのだが、本八戸を経由する八戸線(通称うみねこレール八戸市内線)は本数が極端に少ないため、このようにバス文化が南部バス・市営バス含めて発達しているのである。
 中心街は主に一方通行で、反対側へ向かうバスは別の通りにあった。パチンコ屋の前にバス停があって、乗客がちらほら待っている。八戸行きの八戸市営バスがやってきたが普通のキュービックだったので見送り、せっかくだからとその後にやってきたいすゞCJMに再び乗って八戸駅に戻った。往路は行く先もわからずハラハラしたが、復路は窓の外をぼんやり眺めながらかつて東京も走った昭和時代のバスに思いを馳せることが出来た。
 八戸駅ではお土産を買う程度の時間は残されていた。列車の車内清掃が終わり、東京行きのはやて最終便がドアを開ける。一旦乗り込んで荷物を下ろし、発車時刻まで列車のデッキで待つ。開かれたドアの目の前には「はちのへ」と書かれた駅名標がある。時計の針が20時ちょうどを指し、近代的な八戸の駅舎に発車メロディーがとどろいて、新幹線のドアがゆっくりと閉まった。青森県との空気が分断された瞬間だった。それは旅の終わりを告げていた。次に扉が開くとき、列車はもう岩手県にいる。

 八戸駅で購入した八戸小唄寿司という頬が落ちるほど美味しい駅弁を食べながら感傷に浸っていたが、盛岡駅ではちゃんとこまちとの連結シーンをホームで見守った。福島駅の14番線ホームでつばさとやまびこの連結を見ていた子供時代と何ら変わっていない。けれども、今回の旅で通ってきた田沢湖周辺の峠を越えて遙々秋田の地からやってきたこまちと、青森からやってきたはやてがここで再び巡り会うというのは、ある種のロマンを抱かざるを得ない。改めて新幹線の偉大さに感動を覚えつつ、通過していく各駅の夜景を眺めながら、列車はあっという間に東京駅に到着していた。