温泉旅行記 特別章 寝台特急あかつき

 飲み会終了後、近鉄電車で大和西大寺に向かい、特急に乗り換えて京都へ向かった。阪急梅田で出会った先輩とはここで別れ、サークルの別のメンバー数名と寝台特急あかつきに乗り込んだ。
 ご存じの通り、寝台特急あかつきは熊本へ向かうなはと途中まで併結し、長崎まで走るブルートレインだった。今年三月のダイヤ改正で惜しまれながらも廃止となってしまった列車である。
 廃止の主な要因は車両の老朽化である。一方、マスコミの報道では金銭的な問題と時間的な問題が目立った。寝台特急は時間が掛かる上、通常の乗車券、特急券と別に寝台券を重ねなければならない。B寝台で六三〇〇円で、これは下手なビジネスホテルと同額かそれ以上である。新幹線が便利になったのは言わずもがなであるが、東京〜弘前五所川原を結ぶ夜行バス「ノクターン号」の成功をきっかけに、各地の都市間を結ぶ夜行バスが発達し、低料金でありかつ寝台特急よりも便によっては早い時間で結ぶから、乗客がそちらに流れていったという背景もあるのだろう。
 しかし、国鉄時代の面影を残す車両を廃してしまうのは残念でしょうがない。B寝台とは言え、カーテンを閉じれば寝るスペースが十分にあるし、なんと言っても横になれるのが嬉しい。寝ながら車両の揺れを感じるのも良いが、たまにむっくりと起きあがって窓の外を眺め、現在地を確認するのも乙なものだ。
 自分は昭和生まれであるが、旅行を主に寝台特急で行っていた世代ではない。すでに新幹線が整備され、一晩掛けなくても目的地につくことが出来るようになっていた。
 しかし車内で懐かしい物を発見した。東北、福島へ向かう列車の主役は二〇〇系だった。これの車内に冷水コーナーがあったのである。くるくる回すと紙コップが出てくる。紙コップと言っても紙が二枚重ねになっていて中を膨らませて使うのである。ボタンを押して水を出す。決してうまい水ではなかったが、座席で落ち着いていられなかった自分の幼年期には必須のアイテムだった。列車の中をさまよう間、重要な水分補給の地点だったのである。今でもあのときに飲んだ水と紙コップの形状は忘れていない。
 二〇〇系の方は車体を更新するとともに冷水コーナーは消えてしまった。一方、急行銀河には設置されていなかった。あかつきとなはが消えてしまった今、あの冷水コーナーを体験できるのは富士とはやぶさだけになってしまったのだろうか。もしも他にあるという情報があるのなら是非とも欲しい。
 そんなわけで、あかつきの冷水コーナーで水を飲んだ。やはり決してうまい水ではなかった。けれども、それで寝台特急に乗っているのだという実感を得ることが出来た。時代に取り残されることとなってしまった寝台特急。けれども走る歴史の証人として、いつまでも日本の夜を駆け抜けていて欲しかった。利用客離れよりも、車両の老朽化の方が深刻なのだろう。全く同じ列車を作るわけにも行かない。非常に残念だ。
 途中でサークルの他の部員と合流した。四人ほどでしばし歓談した。あかつきは山陽本線をゆっくり走っていった。特急列車であるにもかかわらず、別の特急に抜かれたり新快速に抜かれたりする。けれどもそれで良かった。今しばらくは昭和の雰囲気を味わいながら、旅情に浸っていたかった。
 わりとぐっすり眠ることが出来た。何を夢見ていたのかすらわからない。目が覚めるとすでに九州島内に入っていた。鳥栖から長崎までやたら時間が掛かる。単線区間だからという理由もあるが、それにしても遅いのである。振り子付きの八八五系特急かもめが快走を見せる区間で、寝台特急はのろのろと進み、途中何度も待ち合わせをする。決して現代的な列車ではない。けれどもそういう列車が少しはあってもいい気がする。
 諫早湾の景色がすばらしかった。真っ赤な朝日が靄の掛かった空に浮かんでいる。あかつきは諫早の手前でかなり長い間止まり、やっとのことで諫早に到着した。僕は諫早のホームに降り立ち、終点の長崎へ走っていくブルートレインの勇姿を名残惜しく見つめた。