温泉旅行記 第五章(長崎県) 島原鉄道 雲仙温泉・島原温泉

 諫早駅のコインロッカーに荷物を預け、雲仙行きの島鉄バスに乗り込んだ。今日は島原半島遊湯券という切符を用いて島原半島を巡る。
 バスは山道をうねうねと走る。運転手はかなり慣れているようで、カーブの続く道もらくらく駆け抜けていった。
 まもなく小浜温泉に到着した。小浜温泉と言えば、アメリカ大統領選挙で話題のオバマ候補を勝手に応援しているところである。一風呂浴びていきたかったが、時間の都合でここはそのまま通過した。
 向かったのは雲仙である。道路の脇から煙がもうもうと上がっている。天気は晴れてくれた。
 早速公共浴場に向かった。ここはPHが2.2という強酸性の温泉である。ここまで酸性が強いと石鹸がうまく泡立たない。より酸性の強い蔵王温泉では米糠ソープなどで代用している。ただ、この浴場には石鹸類はおろかこれといった設備はなかった。あるのは浴槽と桶くらいである。
 しかし泉質は素晴らしかった。硫黄の香りが漂い、湯の華が入った強酸性の湯は冷えた身体を芯から暖めてくれた。設備は揃ってなくとも、ここまで泉質が良ければ文句なしである。さすがは雲仙、大満足だった。
 温泉神社を参拝し、地獄の遊歩道を歩いた。荒涼とした土地から煙がもうもうと出ている。別府にも地獄はあったが、それとはまた違う雰囲気だった。別府はちょっとした地獄が各地に点在している形だが、雲仙は山全体が一つの地獄になっているような気がした。別府は地獄のテーマパーク、雲仙は地獄そのもののなれの果て、と言うとわかりやすいかもしれない。
 基督教殉教碑というのがあった。キリスト教の信仰を取り締まっていた江戸時代、拷問のため熱いお湯をぶっかけ、何人ものキリスト教信者が火傷で亡くなっていったという。これはその慰霊碑だそうだ。
 自分は今まで温泉はただ人間に恩恵を授けるものだとばかり考えていた。しかし、そのような歴史もあったのだ。以前、キリシタンに興味を持って天草を訪れたことがあり、今回も旅行計画に島原を組み込んだのもそのためだから、この発見は自分にとってショックだった。やはり、自然というのは人間の使いようなのである。間違った使い方をしてはならない。
 熱湯を掛けられて亡くなったキリシタンたちに、自分は温泉好きだと言えば恨まれるかもしれない。けれども、悪いのは温泉ではなく、人間は政権を握ると時に過ちを犯してしまうのだ、ということを理解してもらいたい。そして、これからはそのような過ちを犯すことなく、限りある資源をなるべく有効に使って行かなくてはならない。マグマ由来の煙が絶えず吹き出し、荒涼とした地獄の中、僕は過去にこの場所で苦しめられた人々のことを思い、殉教碑に手を合わせた。
 次に向かったのは山の情報館である。ここの二階では温泉のメカニズムが科学的に紹介されていた。非常に面白かったので、僕はなんとしてでも理解してから帰ろうと、メモを取り写真を撮りながら何遍も展示物を見返した。
 どうして温泉には様々な成分のものがあるのだろうか。その答えはマグマとそこから水に解け出す成分の関係にあった。マグマから近いところにあるもの、たとえば先ほど通った小浜温泉などがそうだが、非常に塩分の強い温泉なのである。これはマグマに含まれる有効成分のうち、塩分が最も早く水に溶けるからである。自分は理系ではなく、詳しい記述ではないが、おおまかなメカニズムはこのような感じである。
 中心から少し離れると、今度は硫黄などが水に溶けるようになる。こうして、酸性の非常に強い温泉が出来る。先ほど入った雲仙温泉がそうで、硫黄が主な成分だ。
 そしてさらに離れると今度は二酸化炭素などといった炭酸系が溶けてくる。重曹泉などといったアルカリ性の温泉はこうして生まれる。これから向かう島原温泉は重炭酸塩泉である。そして最終的に重炭酸土類泉なども出てくるのだ。
 このように、島原半島は温泉のメカニズムを知る上で格好の土地なのだ。島原半島西側のえぐれている部分、橘湾がちょうどカルデラでマグマ溜まりのある辺りであるから、そこからの距離と方位を考えると温泉成分との関連が見えてくるのである。これは非常に面白い。
 長崎ちゃんぽんを食べ、雲仙からバスに乗り今度は島原へ向かった。バスで雲仙普賢岳の向こう側に出るのである。先ほどの例から言えば、自分はマグマ溜まりからどんどん離れながら温泉に入っているということになる。
 バスはかなりアグレッシブな運転を続け、島原のバスセンターに到着した。ここは島原鉄道島鉄本社前最寄りである。少し歩いて南風楼という由緒ある旅館へ向かった。ここで島原半島遊湯券を見せ、温泉に入る。この切符は指定された温泉施設の中から一つを選んで入ることができる、交通と入浴がセットになった画期的なチケットなのだ。これを利用しない手はない。
 島原温泉は源泉があまり熱くないため、加温処理をしている。それでもあまりお湯は熱くなかった。眺望風呂があり、波が寄せては返す海を一望しながら入浴できたのは素晴らしい経験だったが、ややお湯が少なかったのが残念である。一度中で暖まってから外に出ないと、肩の辺りがだんだん冷えてきてしまう。
 温泉のあとは島原城へ向かった。ここではキリシタン関連の物が展示されていた。マリア観音など、天草にあったような物が存在した。遠藤周作の沈黙という小説がちょうどキリスト教弾圧についての内容である。神の沈黙とは、その辺りに少しでも興味がある方には是非ともお勧めしたい小説である。
 島原城天守閣の一番上は例の如く展望スペースとなっていたが、外に出た瞬間突風に煽られ思わず飛ばされてしまいそうだった。これは良い景色どころの話ではない。写真を数枚取ってすぐさま中へ引き返した。
 島原城内には長崎の平和記念像を作った彫像家の美術館のような施設もあった。かなり広範囲な人物像を手がけていて、天草四郎などもあったが、目があのようにおっさんっぽくなっているのである。まあ、いいか。
 最後は島原駅から島鉄に乗り、諫早へ引き返した。島鉄よりもバスの方が早い気がする。ずっと海岸線を走るのだが、加速が遅く、たいしたスピードを出さない。ちなみに、途中の駅で対向列車を何気なく見ていると、そこにサークルの知り合いの姿があった。なんという奇跡だろう。思わず笑顔で手を振った。

続きはhttp://d.hatena.ne.jp/kikuties/20080325です。