地域アイデンティティーと田舎の現実

 自分の生まれ故郷は阿武隈急行線の通る福島県伊達市保原町である。一応この路線内では起終点を除いて最も乗降客数の多い駅ということになっているが、不況の影響を真正面に喰らい、ここ数年で電機メーカーが撤退し、置き去りにされた街の様相を呈している。特にこれといった観光名所がないので、これから先の町興しは非常に困難を極めるだろう。実際、周囲の市町村と合併し、伊達郡から伊達市に名称を変えてなんとか生き残っているという具合だ。
 ところで、阿武隈急行線は各駅に愛称を付すことで有名だ。「疎水光る桃源郷」「伊達市発祥のまち」「さわやか田園都市」「教育文化のまち」など多岐に渡る。その中で、先述した保原の駅には「ファッションニットのまち」という愛称が付されていた。
 駅構内にはちょっとしたスペースがあり、古くから街で生産された衣服が展示されている。
 しかし、街並みを歩いてみると厳しい現実に直面する。駅前すぐの飲食店はシャッターが降りていて活気がない。町内に数多く存在していた衣服店、美容室はほとんど閉鎖されていた。唯一、駅前で堂々と営業を続けていたのは大手衣服チェーン店である「ファッションセンターしまむら」であった。保原の町は大手衣服チェーン店にそのアイデンティティーを奪われてしまった。
 実際、福島県はだいたいどこもこのような具合になっている。住民は駅前の商店街を利用せず、週末になると西道路のSATYへ車を出し、大型ショッピング施設やその周囲のみで買い物を楽しみ、家に帰るという生活。駅前は寂れて、かつては賑わっていた商業施設も、現在は上の階にある映画館のみが営業していて、下の方はテナント募集中という始末だ。
 僕のように、都会に住んでいる人がこの現状を耳にすると、「大型商業施設なんて潰れてしまえば良いんだ」という短絡的発想に辿り着く。しかし、事態はこれほど簡単な問題ではない。いざ、その商業施設が潰れてしまったら、商店街が再び復興する方向へは向かわず、買い物する場所がなくなってただ人の住めないネクロポリスになるだけである。既に「しまむら」は保原における衣服品販売店の立派な代替になっていて、元の街並みを戻すのは非常に難しいのだ。
 こんなことがあった。
 妹がニュースを見て「加須うどんを喰いたい」と言い出したので、一度妹を連れて加須や熊谷周辺をぶらぶらしたことがあった。加須のうどんに舌鼓を打ち、熊谷まで移動し、ぶらりと近くにあった「SATY」に立ち寄った。僕はただ買い物をするために立ち寄っただけだったのだが、妹がここにいたく感動してしまっていた。一体何が起こったのだろうか、どうしてこのSATYがそんなに魅力的なのかさっぱりわからなかったが、どうも話を伺うと、妹はSATY熊谷店に地元福島の郷愁を見たというのである。
 これには驚いた。確かに妹は福島出身ではあるが、全く田舎暮らしをしておらず、福島は単なる帰省先だった。そして、帰省の度毎に祖父や祖母に連れられて近くのSATYへ行く。ここで買い物を楽しんで、近くの温泉に立ち寄るというのが毎度の帰省ルートだった。
 SATY熊谷店内の喫茶店で小休止した。僕は「埼玉もいい場所だろ?」と妹に力説していた。妹はアイスクリームを食べながら、ひたすらSATY礼賛を行っていた。僕と妹の間にはSATYを見る目の大きな隔たりがあった。僕はあくまでも一地方都市として熊谷を推していて、妹はSATYがあるだけで熊谷を地元福島に重ね合わせていたのである。結局、妹はうどんも熊谷も良かったと満足気に、僕は複雑な心境で家路についた。
 この事件をきっかけに、僕の地方に対する意識は変革を余儀なくされた。それまでは単純に地域アイデンティティーを奪った大型チェーン店に対する憎悪のみが渦巻いていたが、ようやく事態の深刻さに気付いたのである。実際、僕も含めて我々家族は帰省の際に大型ショッピング施設を十分利用していたし、妹はそこに地元福島のアイデンティティーを見いだしていたのである。最早、これを取り除くことは不可能だろう。
 鳥取県北栄町にはかつて郷土資料館が存在していたが、現在は町興しのため「名探偵コナン青山剛晶ふるさと館」に変わっている。個人的に名探偵コナンは非常に好きなアニメなのだが、町興しのために郷土の資料館が消えるというのも切ない。
 比較的最近、町興しで大成功を収めた鷲宮町は、アニメ「らき☆すた」の普及に伴い、かつて町にあった「神楽」のイメージをアニメのキャラクターに重ね合わせ、伝統文化を新しい形で蘇らせることに成功した。これから先にどうなっていくかはわからないが、この例に倣って何かを犠牲にすることなく町を蘇らせることはできないだろうか。福島県保原町をもう一度ファッションニットのまちとして蘇らせ、新しい風を巻き起こすことはできないだろうか。再びあの地を訪問し、地元の町に望みを託したい。