「乗りつぶし」最大の落とし穴とは?

 特に過疎部に多いが、鉄道をひいてしまったために現地住民が都会へ逃げ出し、町が寂れてしまったという現象が日本のいたるところで起こっている。代表的なのは新幹線の建設に莫大な費用を投じ、予想される結果が得られなかったために財政難に陥っている山形県新庄市だろうか。新幹線の乗客は多いのに、新庄市へ観光に来る人はさほどおらず、むしろ新庄から人が外へ出てしまい、鶴岡・酒田の人も新庄を通過してしまうだけである。結局のところ、新幹線に人が乗っても現地に金はおりず、JRに金が行くだけなのだ。現地で土産物のひとつでも買ってくれれば別なのだが……地元の人々がつばさに夢を乗せていただけに、非常に残念な結果となってしまった。今後の復活を強く望みたい。
 さて、我々鉄道趣味人のジャンルのひとつに「乗り鉄」というものがある。旅行好きが大半を占めるが、「乗りつぶしオンライン」などのサイトを通じてとにかく多くの路線数にしらみつぶしに乗っていくことを目的として旅をする人も多い。
 この行為自体は決して間違ったものではない。ある種の収集癖のひとつで、数多くの路線に乗るということは非常に大きな達成感を得ることができる。しかし、その「乗りつぶし」を急げば急ぐほど、途中で通過する駅が多く生まれてしまい、僕はそれをとても残念に思う。
 列車が三時間に一本しか来ない途中駅に降りてみる。時刻表巻頭イラストでは白く表示されていて、友達100人に聞いて100人ともその存在を知らないような、有名でない駅。その周辺をぶらついてみると思わぬ発見がある。コンビニはなくても必ず寺社仏閣のひとつはあるし、温泉施設に巡り合ったり(これを目的に降りる場合が多いのだが)、思わぬ人との交流に巡り合ったりすることができる。
 このような冒険が鉄道の旅には数多くあって、それは駅の数ほど、いや星の数ほど存在すると言えよう。列車の起終点だけを回るだけの旅行では味わえない、ほんとうの日本を体感できる。いくら小さな駅であってもそこには人の営みがあり、自分の知らない文化が根付いている。これらを見逃し、ただ路線数を稼ぐだけに切符を買うのはもったいない。短い距離、また近郊区間でなければいくらでも途中下車できるのだから、一回の旅でできるだけ多くの駅に途中下車するのがお得だろう。
 自分はあえてバスに乗って途中駅まで行ってみたり、先述したように路線の途中にある温泉を見つけて、それ目的で乗り降りしたりしている。そのため、一回の旅で乗りつぶせる路線数は限られてしまうのだが、次回の旅に思いを馳せてゆっくり「乗りつぶし」を行うように心がけている。

 自分の主義を他人に強要するつもりはないけれども、少なくとも「乗りつぶし」を急ぐ必要はない。JRの路線など限られた数しかない。日本にはすべての駅に下車した尊敬すべき人物もいるのだ。これは本当にすごい。
 ひとつひとつの路線を大切にし、その路線の沿線文化に触れてこそ、その路線に真の意味で「乗った」と言えるのではなかろうか。あまりにも忙しい旅は旅の魅力を「潰し」かねない。