ドイツ・ビアライゼ(3−1)DB博物館

 ドイツ旅行も三日目となる。毎日のようにビールを飲んでいるのだが、味わえる量でやめているし、なによりもいい酒は悪酔いしないのだ。早朝、二日間利用したミュンヘンの宿に別れを告げ、ミュンヘン中央駅へと向かう。

 ケルン行きのICEがニュルンベルグやフランクフルトに停車していくので、これに乗車する。ホームには列車がすでに止まっていて、ドア付近に人々が群がっている。ドイツに整列乗車という概念はない。日本人が几帳面すぎるんだろう、きっと。
 そろそろ発車時刻が迫ってきたとおもいきや、いきなり駅構内放送が流れてきた。もちろんドイツ語で。完璧に聞き取れたわけではないが、どうやら発車番線が変更になる、ということらしかった。群がっていた乗客たちはいそいそと隣のホームへ移っていった。さきほど写真撮影を完了した車両はいそいそと回送され、かわりに別の列車が隣のホームに進入してくる。列車が止まり次第、ボタンを押して車内へどんどん入っていくというかなり野暮ったい光景が繰り広げられていた。東京駅新幹線ホームには足元に整列用のテープが色とりどりに貼られ、先発の乗客が乗り込むと後発の乗客が先発の列へそのまま移動する、なんて日本じゃないと考えられないだろう。
 ICEが日本の特急と大きく異なるのは、号車によって自由席と指定席をわけているのではなく、基本的にすべて自由席であり、指定席は座席上の表示に指定された区間が入ることでわかるようになっている(ただし、2と表示されている号車は2等車であり、1は1等車)。ただしこのシステム、なんだかうまく機能していないみたいで、予約してあっても表示されていないことがしばしば発生する。そのため、自由席だと思って座った人があとから来た指定席券所持者に途中で席を譲らなければならないような事態も頻発していて、去年ICEに乗ったときも軽く揉め事があった。まあ、基本的には円満に解決するのだろうけれども、日本人なら毎回ここまで交渉しなくてはならないのはうんざりするだろう。最初から指定席車と自由席車に分離してしまうのが、日本人の性にあっているのかもしれない。なお、ICEの中でも特に速いICEスプリンターに関しては、全席指定席となるので注意が必要である。
 号車をいくつか移ったら空いている席を発見した。気を取り直し、バイエルン地方高速旅行を始めよう。フランクフルトからミュンヘンにかけては、時速300km/hを出すこともある高速区間なのである。なお、ミュンヘン−フランクフルト間だけで2等車一万円ちかくかかるので、ジャーマンレールパスがいかにお得なのかわかるだろう。


 山のない車窓である。日本であれば考えられないが、地平線がずーっと続いている。ここは北海道よりも広大な土地だ。遥か上空にはけん雲が浮かび、牧場には馬や牛が群れ、小さな町のもっとも高い建築物はおしゃれな教会である。ああ、ドイツに来たなあと感慨に耽っていると、あっという間にニュルンベルグに到着してしまった。


 この地は焼きソーセージで有名であり、地ビールを振舞うクナイペもいくつかあるのだが、重い荷物があったのと、目指すべき場所があったので、われわれは一目散にDB博物館を目指した。駅から徒歩10分程度で到着、日本の鉄道博物館とはまるで雰囲気の異なる重厚な建物があった。これはまるで美術館のようだ。しかし、赤と白のDBという文字が見えたので、やはり鉄道博物館である。

 来る前から予想していたのだが、館内はとてつもなく広い。そして博物館特有の、いい意味で重苦しい雰囲気が漂っている。
 鉄道博物館の一階はイギリスで世界初の鉄道が勃興してから瞬く間にドイツ全土へ広がっていった歴史を紹介している。日本でもやや遅れをとりながらほぼ同時期の1872年に新橋〜横浜間で初の鉄道が運行開始されるが、ドイツは鉄道建設フィーバーの名にふさわしく次々と鉄道が敷設されていった。
 その最初の地がこのニュルンベルクであり、当初は山越えやトンネル建設など大変な苦労があったという。大勢の労働者が必要な割には労働賃金が安く、女性や少年が鉄道建設の労働力としてかり出されたことも少なくなかった。このあたりは、明治期に官営工場で女工による壮絶な歴史があったことと酷似しているが、鉄道の博物館でありながら史実を余すことなく展示しているのは、さすがドイツである。


 鉄道は当然ながら負の側面も存在する。特にドイツではポーランドアウシュヴィッツユダヤ人を輸送するために鉄道を利用した。すべての道はローマに通じるが、すべての鉄路はアウシュヴィッツに続いていたといっても過言ではない。これらの歴史も克明に展示されているドイツの博物館学はあっぱれで、もはやアミューズメント施設になってしまって学術的な側面が喪失しつつある日本の鉄道博物館とはことなり、とても頭を使う場所であった。


 鉄道フィーバーに対し、寝台列車でぐっすり寝ているうち翌朝ドレスデンに着いてしまうのは素晴らしいと驚く意見や、環境破壊だ・狂っているなどの批判的意見もあり、当時の鉄道観を垣間見ることができて新鮮である。
 一階の途中には車両展示スペースもあり、超大型の蒸気機関車や、ルートヴィッヒ二世やビスマルクが利用した鉄道も飾られていた。ビスマルクの客車はまあ常識的な装飾なのだが、やはりルートヴィッヒ号はすごい。なんだか、想像を遙かに凌駕したギラギラ感があった。

 1945年で1階の展示は終了、2階の展示はちょっと懐かしい駅舎の再現であったり、東ドイツの鉄道会社に関する展示であったり、見応えのある展示が続いた。


 資料展示コーナーが終わると、若干子供向けのアミューズメント展示に様変わりする。こちらにはわかりやすく鉄道施設の体験ができるコーナーや鉄道模型の展示、運転シミュレーション機などが存在して、ようやく日本の鉄道博物館らしくなってきた。大宮の鉄道博物館はこのような楽しんで学べる精神はとても充実しているのだが、鉄道の歴史を重厚に紹介する展示はまだまだ未発達であり、交通博物館当時は存在していたあらゆる展示品を、今は一つの部屋に放置しているような状態である。同じ鉄道の博物館であってもここまで展示スタイルが異なるのは非常に興味深い。そういえば、ヨーロッパにおいて鉄道模型は非常に高尚な趣味であり、鉄道模型関連雑誌も駅で数多く取り扱われている。趣味人に対する認識の違いも、なかなか面白い文化差だ。


 おみやげを購入した後は中央駅に戻ってドネルケパブとビールをいただいた。ドネルケパブは元々トルコ料理でありながら、現在ではもはやドイツ料理と言っていいほど定着してしまった市民料理であり、秋葉原で売られているような商品よりも肉がたんまり入っている。これだけでお腹いっぱいである。昨年ハイデルベルグへ行ったときもドネルケパブを食べてビールを飲んだ。この組み合わせ、意外と悪くないのだ。