恐山訪問記 第1章「出発」

 かねてから恐山に行きたかったものの、都心からだとなかなか遠い場所であり、Wikipediaで調べると「観光客が気軽な気持ちで訪ねると祟られる」なんて書かれていたので、ちょっと遠慮がちになっていた節があったのだが、今回うまくスケジュールを整えることに成功したので、覚悟して行ってみることにした。結論から言うと、今まで日本全国をいろいろ旅してきたが、そのなかでも恐山が一番すごかった、圧倒されたと断言していいだろう。

 20時までサークルの用事が日吉であったので、それに出席してからぎょうざの満洲千川店で「うまにそば」を頂く。22時20分池袋発十和田市行きの夜行バスに乗車し、一路青森県を目指した。この夜行バス、JRや国際興業をはじめとしていろんな会社が提携して運行しているのだが、自分が当たった車両は十和田観光電鉄のものだった。普通は車内の自動放送があったり、車掌が丁寧に避難経路・途中休憩・トイレなどの説明をしてくれるものなのだが、このバスに限ってはトイレの場所と消灯の知らせくらいしか流れなかった。翌朝になって停留所が近づいても、「まもなく本八戸です」くらいしか言わない。まあ、究極の省エネ。これでいいのかもしれない。

 夜はぐっすり眠れた。夜行バスにすっかり慣れてしまったせいでもあるが、今回は寝る時間がちゃんと確保できたことが勝因だろう。十和田市には翌朝八時到着で、普段の睡眠時間よりも長く眠れる。やはり夜行バスは長距離の方が楽しい。

 夜行バスは八戸の中心街・本八戸駅・ラピアを経由する。JRに沿っているわけではなく、実際に人が住んでいる地域を中心に停車していくのがバスの長所である。ご存知のように八戸の中心街は八戸駅よりも本八戸駅の方に近く、JRで行くと路線バスに移動しなければならないのだ。


 そして十和田市駅にほぼ定刻通りに到着。駅の立ち喰いそば(250円)で朝食を済ませ、8時33分発の三沢行き電車に乗った。14キロほどを26分で結ぶ短い路線で、東急の中古車が使われている。自分が乗ったのはいわゆるダイヤモンドカットの車両で、都心では現在東急多摩川線で7600系として乗車できるが、こちらはインバーター改造されたものであり、元のままをそのまま用いているのは結構珍しいのかもしれない。


 線路の脇には小川がちょろちょろと流れていて、それに沿ってずっと道路と平行して列車は走る。飯坂街道と平行している福島交通と共通するところがある。朝の眩しい光をせせらぎが反射し、透明感のある空気の中を列車は進んでいった。窓の外に緑が映えていてとても気分がいい。これはいい路線である。福島交通が好きなだけに、親近感を抱いているのかもしれないけれども。

 車内は席がだいたい埋まる程度に混雑していた。朝のラッシュ時間帯であるから、もうちょっと人が乗っていてもいい気はしたが、列車の運転本数から見るとこれが妥当かもしれない。女子高校生が乗客の中心で、途中の三農校前でほとんどが降りてしまった。三沢まではのんびり森林の中を走行。終点の近くで車窓には日本庭園や古来からある伝統的な建物が見えてくる。古牧温泉一体だ。東京から移転してきた渋沢邸もあり、渋沢公園もある落ち着いた場所である。終点の三沢駅から歩いて5分ほどのところに観光地が固まっている。

 三沢は米軍施設や空港があり、「大空のまち」として町興しを行っているが、良質な温泉が涌く一体でもあり、市内には数多くの温泉施設が存在する。僕が立ち寄ったのは駅からすぐのところにある「古牧温泉元湯」。入湯料は300円と格安。建物は日本の古き良き温泉施設という趣たっぷりのもので、中に入ると立派な庭園が見える。駅からこんなに近くて雰囲気が良いなんて、最高である。シャンプーやボディーソープも完備。すごい。



 そして肝心の温泉は、窓ガラスの外に庭園が広がる風光明媚な内湯。少し熱めの湯が浴槽に満ちていて、お湯はわずかにアルカリ性単純泉で、肌がみるみるうちにすべすべになっていく。カランで使われているお湯もおそらく温泉であり、これには感動。ここは本当にお勧めである。三沢駅で一時間でもあれば気軽に立ち寄れるので、是非ともこのぬるぬる湯を味わっていただきたい。日本の情緒たっぷり公共浴場、という印象だ。


 三沢駅9時28分発の普通列車に乗り、幼稚園生の遠足模様を見届けつつ、途中の野辺地駅で下車。野辺地といえば日本最古の鉄道防雪林のある場所として有名だが、そちらの方まで行く時間は残念ながらなかった。10時7分発の青森からやってきた快速しもきた号に乗り、下北半島陸奥湾沿いに北上する。ちなみに車両はキハ110系を期待していたのだが、キハ40とキハ48の連結だった。これはこれで収穫である。


 大湊線は野辺地と大湊を結ぶ路線で、愛称は「はまなすベイライン大湊線」である。快速列車の停車駅は野辺地を出ると陸奥横浜、下北、そして終点の大湊。途中停車駅が極端に少ない、観光客向けの列車だと言えよう。



 列車の左側には海が広がり、右手は長閑な農村地帯が続く。農村地帯といっても、水を湛えて日光を反射する田圃、牛、森林、そして大きい風力発電施設が垣間見える。そう言えばここは六ヶ所村の近くだった。東北地方の電力を担う重要な場所でもあるのだ。


 ローカル線旅情に十分浸りつつ、やがてやってきた本州最北端の駅で下車。後述する下北交通大畑駅が2001年までは本州最北端だったが、残念ながら廃止されてこちらに移ったのである。かつては下北交通の列車がここから発着し、さらに北まで向かっていたのだ。駅舎は2009年に新しくなり、現在も駅前広場は工事中だった。下北交通のバスターミナルまでちょっと歩く。

 八戸市と同様、むつ市も中心街とJRの駅が離れた場所にある。下北交通廃止前は便利だったかもしれないが、現在下北駅とむつバスターミナルを結ぶ路線が結構少ない。恐山行きのバスは下北駅発着なので問題ないが、その他の場所も回る観光客には幾分不親切な構造である。八戸の南部バスや八戸市営はわかりやすいように工夫し、本数も充実しているのだが、下北交通にはもうちょっと頑張って欲しい。


 恐山行きの車両は日野レインボーの観光型・中型だった。11時5分に駅前を発車したバスはむつ市内を走行し、途中むつバスターミナルを経由。当初は田舎のごくありがちなバス会社かと思っていたが、バスターミナルを過ぎると下北交通の本領が発揮された。

 各停留所ごとに通常ならば自動放送で付近の広告が入るものである。しかし、下北交通は違っていた。なんと、恐山の観光案内が入るのである。それも、停留所間の距離をちゃんと会社が把握した上で、それぞれの時間に合うだけの放送を流し、話を区切りながら順序よく解説していくのだ。停留所間が長い場合は恐山に伝わる昔話や、かつて恐山を訪ねた修行者たちが口ずさんだ歌などが流れた。まるでバスガイドがそこにいるような、本格的な案内である。自動放送でここまですごいのは初めてだった。


 昼食は三沢駅で購入したおにぎり二つ。おにぎりといっても、片方はほたてが入っていて、片方はウニが入っている。見た目のインパクトもさることながら、味も素晴らしかった。三沢駅だけでなく、八戸駅でも売っているようだ。駅弁よりも安く、気軽に地元の幸を味わえるので、是非ともお勧めしたい。

 バスは順調に山登りをしていた。地元の高校生が耐久遠足を行っているらしく、各チェックポイントが設置され、汗を掻きながら一生懸命走っている人から、完全に諦めてとぼとぼ歩いている人まで様々。沿道には石でできた一里塚のような目印があり、丁ごとに設置されている。恐山に近づくごとに44丁→43丁→42丁と数が減っていく寸法だ。


 途中、「冷水」というバス停があった。恐山への県道が整備されていない時代、参拝客はここでわき水を飲んだのだという。水を飲む回数によって長生きするなどといった謂われがあり、バスの放送では「また、水を飲まなくてもこの話を聞いただけで三日は長生きします」という放送が入って思わず笑ってしまった。

 しかし、バスは停車した。運転手が後ろを振り向く。
「ここが冷水ですね。飲みたい方、飲んで良いですよ」
 なんと、バスを止めてわき水を飲ませてくれるというのである。これには感動。
 水はそれなりに美味いわき水だった。これで長生きするかどうかは信心次第だろう。

 再び乗客を乗せると、バスは下り坂を走っていった。恐山というのだから山の頂上にあるのだろう、と考える人もいるかもしれないが、それは誤解である。八つの山に囲まれた地帯に宇曽利山湖という広大な湖があり、その畔に恐山菩提寺の境内が広がっているのである。従って、道も山登りだけとは限らず、最後の方は結構降りていった。

 車内にはっきりとした硫黄の香りが立ちこめてきた。林道を抜けると、目の前に美しい湖が見えてきた。これが宇曽利山湖である。エメラルドグリーンと群青の混じった、筆舌に尽くしがたい美しさだった。感慨に耽るまもなくバスは三途の川を渡ってしまった。ちょっと、心の準備ができていないのに……。そんな僕を乗せたまま、あっという間にバスは終点の恐山に到着した。凄まじい硫黄の臭いが鼻についた。


第2章に続く