恐山訪問記 第2章「入山」

 透き通るような快晴だった。風が強く、気温は高いけれども涼しい。

 門の外には蓮華庵と呼ばれる食事処、土産屋、そして名物霊場ソフトの売店がある。これは後でいただこうと考え、さっそく入山受付所で入山料の500円を支払い、中へ入っていった。はっきり言ってこれで500円は安い。


 総門をくぐると、山門へ向けて白く長い通路が続いていた。真っ白な通路の脇には硫黄を含んだ水の流れるお堀があり、常夜燈が周囲を取り巻いている。山門へ向けて自分の通る通路だけ浮き立っているような感覚だった。


 山門の手前にお地蔵さんが据えられていて、小石が堆く積まれている。そして小石には風車が七本くらい刺さっていた。強風に煽られて、狂ったようにくるくると回転を続けている。それをお地蔵さんが見下ろしている形だ。

 恐山は水子供養も兼ねている。賽の河原で死んだ子供の魂はひたすら小石を父のために、母のために積み上げ続けるが、夕方になると大鬼によって壊されてしまう。翌朝になると再び子供の魂は小石を積み上げ始める。参拝客は少しでも子供の魂を救おうと、小石をそっと積んであげるのだ(このあたりは下北交通バスの車内放送で得た知識)。そのため、お地蔵さんの周囲には大小あらゆる小石が密集していて、色とりどりの風車がその荒涼とした風景に拍車を掛けて不気味さを演出していた。思わず手を合わせてしまう。



 山門を抜けると本尊まで一直線。両脇には四十八燈、そして参拝客は自由に入浴することができる三カ所の温泉施設があった。「冷抜の湯」「薬師の湯」が男湯で「古滝の湯」が女湯(どうやら日によって変化するらしい)。ちょっと離れたところにある混浴の「花染の湯」は残念ながら工事中だった。温泉施設というよりも、木造の馬場のようである。




 本尊の地蔵殿は立派な建物だった。通常の寺社仏閣と同じく参拝を済ませる。出店のような場所でお守りの類を購入した。おばちゃんがすごく気さくな方で、温泉入浴をしきりに勧めていた。再び本尊の前まで戻る。と、ここまでは、境内に温泉があるのを除いて他の寺院とあまり変わらない様子だった。恐山がすごいのはここから先の境内散策である。観光ガイド等では所要時間40分と示されていたが、僕は3時間かかった。観光地を回るのが早いと周囲からよく言われる僕でさえこれほどかかったのだから、見所の多さを理解していただきたい。


 前述したように宇曽利山湖は透明できれいな水を湛えたとても美しい湖であり、湖畔の景色は天国のように喩えられる。皆さんは天国と言われるとどのような光景を想像するだろうか。アニメや映画などといった映像作品でしばし天国を題材としたものがあり、我々はそういったものにイメージの影響を受けやすい。そのイメージはぼんやりとしていて、淡い色に輝く三途の川の向こう側に花を湛えた極楽浄土が広がっている、といったもの。自分はここに来て宇曽利山湖や周囲一体を見て、アニメや映画で天国のイメージを固めた人は、きっとここ、恐山の景色を真似たのではなかろうかと思ったほどだった。 



 それと対照的に境内は荒涼としている。火山灰で白く淀んだ大地。周囲にごつごつと転がっている火山岩。それらが不自然に堆く積み上がっていて、間欠泉を兼ねて白い煙をもうもうと吐き出し続けている箇所もある。



立ち入り危険との表示があったが、肝心の柵が硫黄成分によって無惨に破壊されている。供えられた硬貨も真っ黒にくすんでいた。



 偉大なのはこの荒れ果てた場所にそれぞれ名前を付けていった先人達だろう。イマジネーション豊かな恐山の開山者はこれら間欠泉、巨石の類に名前を付すことによって信仰の地へと昇華させた。日本古来の価値観では、信仰は何も偉い仏様や尊い神様だけに捧げるものではない。まして自分の願い事だけを唱えるのではない。地獄や「畏れ」の対象に向けて両手を合わせ、魂よ安らかに、と祈るのだ。


 地獄の傍らに首のないお地蔵さんがいた。硫黄を含んだ岩石に囲まれていた。誰かの名前がマジックペンではっきりと書かれている石も数多くあった。上から見るとちょうど首のない箇所に背後の風車が重なって、お地蔵さんの意志を汲んでいるようにくるくると回転を続けている。僕は何も考えることが出来ず、手を合わせて祈ることしかできなかった。



 荒涼とした地帯を抜けていくと、やがて小高い丘の上に慈覚大師堂、水子供養御本尊がある。小屋の真ん中に慈覚大師座像がいらっしゃるのだが、さながら前近代のハンセン病患者のように、白い布をぐるぐる巻きにして、顔も何も見えなかった。身の毛がよだつ思いがした。周囲には夥しい数の風車が据えられており、強風に煽られてくるくると回転を続けている。相変わらず小石には名前がはっきりと書かれていて、それは数多くの人たちがここで祈りを捧げた証拠だった。



 小さい地蔵が他の巨石と一体化して堆く積まれている。硫黄の成分がそこら中から溢れて、白い沃土に不気味な黄色の流れを作っていた。小高い丘に立つと、遙か遠くに宇曽利山湖が見える。今歩いている場所が地獄で、あちらが天国。その鮮やかすぎる対比が見事で、僕はすっかり恐山の虜になっていた。


 境内はカラスが多いようだった。石仏の上で羽を休ませているようだ。




 そのまま地獄の散策を続ける。暑い。喉が乾く。かきむしりたくなる衝動を抑えて歩いていく。傍らの石に「人はみなそれぞれ悲しき過去を持ち 賽の河原に小石積みたり」と彫られていた。その周囲にも小石が堆く積まれていた。


 やがて辿り着いたのは八角円堂だった。「ご自由にお入りください」と書かれていた。このような表現は陳腐かもしれないが、堂内からはすさまじい霊気を感じた。思わず緊張してしまう。ここは他の場所と明らかに違う、そう強く感じた。堂内はしんと静まり返っていて、外からカラスの鳴き声が聞こえてくる。

 明らかに異質な場所だった。心臓の鼓動を感じる。そこにあったのは死者の遺品だった。ハンガーに和服から洋服、お人形などといったありとあらゆる生活必需品の数々がかかっていて、もはや霊が宿っていない方が不思議だった。全てを見回すように地蔵尊が堂内の奧に配置されていて、その傍らには知らない人の写真やビール等お供え物の数々が据えられている。それはもう本当に夥しい数。日本は生きている人よりも死者の方が断然多い。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く感じた。


 恐山内で最も畏怖を感じた八角円堂を出ると、地獄の先に賽の河原と宇曽利山湖が一望できる。天国へ行く前にちょっと一風呂浴びようと、僕は一旦道を引き返した。

第3章へ続く