恐山訪問記 第3章「菩提」


 賽の河原へ行く前に温泉で一休憩。最初に行ったのは古滝の湯の隣にある「冷抜の湯」。入山者は何度でも無料で入ることが出来る。木張りの床に浴槽が二つあるだけのシンプルな施設。ロッカーもなにもなく、むしろ浴槽から脱衣所が丸見えなので特に盗難の心配はない。まあ、恐山まで来てコソドロを働く人はいないだろうけど。


 入ってみると、白く濁ったお湯に無数の湯の花が浮かんでいた。少し舐めてみるととても酸っぱい。硫黄の成分が強く、明礬も入っているようだ。もちろん源泉かけ流しで、70度くらいのお湯が絶えずちょろちょろと流れている。お湯自体はとても熱いので、水を入れて温度調節しながら入る。ほどよいお湯の温度になったので、一人貸し切り状態でくつろいだ。これは極楽極楽。窓を開けると涼しい風が入ってきて気持ちがいい。油断すると観光客に見られるが、うまく避けて換気を良くした方がいいと表示があるのでそのままにした。窓の外には荒涼とした地獄が広がっていて、なんだか複雑な入浴体験である。それにしても、この温泉だけで500円の価値は十分あるのに……。恐るべし、恐山、とでも言っておこう。



 入浴後、階段をずっと登っていって奥の院不動明王を参拝。温泉入浴のため血のめぐりが良くなっているところに急な道を登っていったので、さすがに心臓に負担がかかった。ゆっくり休憩しながら登り、不動明王に手を合わせた。付近にはスズメバチが飛んでいてやや危険だったが、青くて綺麗なトンボ(ホソミオツネトンボ、という名前らしい)も飛んでいた。初夏の日差しが眩しい。




 八葉塔や塩屋地獄などを見ながら再びトイレのある八角円堂前まで戻る。この辺りは何回か往復しないと全部見通すことができない。一つの決まった経路は一応あるのだが、はっきり言って順路がよくわからないし、いろんなところに別れ道があってそれぞれ見所があるので、危険な箇所への侵入には十分注意しながら適当に彷徨うのがいいのかもしれない。


 別府にも血の池地獄があり、こちらは真っ赤なお湯で満ちているが、恐山の血の池地獄は無色透明の池だった。どうやら、かつては真っ赤に染まっていたらしいが、温泉に含まれる成分の関係で色が変化してしまった様子である。まあ、自然の摂理を用いている以上、このような変化はどうしようもない。



 何もない平地に小石が積み上がっている賽の河原を抜けていくと、やがて宇曽利山湖の畔に出た。ここが極楽浜である。


 今まで地獄めぐりをしてきただけに、エメラルド色の水を湛えた湖は一層不気味に美しく見える。この感覚が分かっていただけるだろうか。本当に天国へ足を踏み入れてしまったような気分になってくる。これには恐れ入った。


 休憩所のような小屋があり、しばらくそこに腰を降ろして光景を眺めていた。風がとても強く、手に握りしめていた境内マップを吹き飛ばしてしまいかねない風だった。ひょっとしたら僕を歓迎していないのかもしれない。まあ、特に祟られるようなことはなかったので、大丈夫だとは思うが。



 この場所にもお地蔵さんが無数に鎮座していた。畏怖心を重ねた。


 何十分経過したのかわからないが、極楽浜を出て再び地獄巡りを続けた。小高い丘を登っていくと、やがて「胎内くぐり」という表示が立っていた。別に何もくぐるものはないのだが、恐らくここを通ることによってそれなりの効果が得られるのだろう。地獄と天国を練り歩いて参拝客は、一度象徴的な擬死を遂げ、胎内くぐりを行うことで再生するのである。


 この後も重罪地獄、どうや地獄、修羅王地獄などとった地獄が並んでいた。荒涼たる風景も素晴らしが、前述したようにこれらを名付けた先人たちのネーミングセンスが素晴らしい。


 五智如来を見学し、はし塚の脇を通って、ようやく最初に通った山門への通り道へ戻ってきた。今度は「冷抜の湯」の反対側にある「薬師の湯」に入浴した。

 「冷抜の湯」と構造はほとんど変わらず、浴槽の片方にしかお湯が入っていなかったので、そちらに入浴した。直前まで誰かが入浴していた様子で、お湯が比較的ぬるめになっていた。とても気持ちがいい。

 突如として年輩の男性が入ってきた。完全に剃っている禿頭である。最初は寺の住職かなと思ったが、私服なのでよくわからない。その人は服を脱ぐと、なんと水の入っていない方の浴槽に入っていった。傍らに置いてあったちりとりで浴槽の下にたまった水をかき集めると、それを浴槽の外に出す作業を無言で続けた。浴槽の清掃なのだろうか。謎である。その行為はある種の宗教儀式に見えた。

 ようやく作業を終えると、その男性は僕の入っている浴槽に身体を鎮め、一言「ぬるいな」と呟いた。僕は頃合いを見計らって退場。最後に「失礼します」と声を掛けると、「%#&@*+#」と返答された。


 霊場アイスを購入。バナナ味、ヨモギ味、ブルーベリー、ミックスなどいろいろあったが、一番安かったバナナに決めた。シャーベットに近い感じで、味はなんとも形容しがたいものだった。

 帰りのバスまで時間があったので土産物を物色したあと、待合所でしばらく本を読んでいた。路線バスの本数はすこぶる少ないのだが、午後を過ぎると観光ツアーバスが幾台もやってきて、寺院内は結構混雑する。早めに回って良かったかも知れない。やはり、誰もいない静かな環境で見学するのに限る。

 15時50分発のバスに乗り、再び三途の川を渡って山道を走った。むつバスターミナルで下車。「まさかりプラザ」という土産物屋を再び物色し、むつバスターミナルで大間方面へ向かうバスを待った。


 第4章へ続く