Fateは文学か? 論争

 http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20071202/1196550751
 なんだか巷でいろいろ論争されているみたいです。ゲームも文学たりうるのか、ゲームはゲームであり、それはそれとして楽しめばいいではないか、などといった議論です。
 結論から言えば、自分はどちらかといえばなんでも文学だ、と言い張る傾向がありますね。今のオタク系サブカルチャーはやはり文学に端を発していることが多く、「純文学」ではないにせよ、「文化」であり文字媒体なら文学だ、と大まかに言い張っても問題はないのではないでしょうか。
 日本の純文学は欧米の自然主義文学を輸入した形でしたが(だいたい大正期かな?)、その際に日本の純文学に取り入れられなかった自然主義の一部分が探偵小説として継承されました。探偵小説も当時は文学の一部でしたが、江戸川乱歩が探偵小説を大衆雑誌に掲載し始めたころから、サブカルチャーの様相を呈してきて、社会派推理小説なども登場しつつも、1980年代頃になるとやはり推理小説は純文学と切り離された形となりました(もちろん、明確な差ができたわけではなく、暗黙の了解的な感じですが)。
 それでも最近のミステリー文壇を見ているとライトノベルの潮流に近いともいえる佐藤友哉三島由紀夫賞を取ってみたりと(舞城王太郎もそうですね)、なんだかいろいろわからないことになっています。おそらくは奈須きのこ氏もこの一派と言えるでしょう(ファウスト誌などで特集されていますね)。本来、日本の探偵小説からSFが分岐し、ファンタジーなどの流れからライトノベルが生まれていったといえるので、ライトノベルは探偵小説の子孫(?)ともいえますし、いくら江戸川乱歩がミステリー小説を大衆雑誌に載せたからといっても、それだけで文学の枠から外れたとは言いがたいでしょう。
 ライトノベルが文学っぽく見えないのは、多くの作品の作者があまりに商業主義的思考にとらわれているからで、中には純文学と比べても申し分のないものもありますし、純文学とカテゴライズされている作品であっても、ライトノベルよりも内容が薄っぺらなものもあります。
 奈須きのこ氏に限って言えば、「空の境界」はライトノベルとして講談社から出版されています。何か文学的なものを表現したくて、コミケで販売するためにゲームの形で販売した、という解釈が最適ではないでしょうか。その他のゲーム作品も、その作者が日本のサブカルの潮流に意識的であれ無意識的であれ、なんらかの影響を受けているとするならば、文学の一形態と呼んでも問題はないかと思います。逆に、これは文学ではないと頑なに拒否しても、その作品に対して文学的考察を行う者がいる限り、意味のないことだからです。