「泣きゲー」と「抜きゲー」

 今のギャルゲーのルーツを辿れば脱衣ゲーやナンパゲーなどに端を発するだろうか。いや、機構としてはそうかもしれないが、内容としてはKeyのAir登場後、先行作のメタ化を重ね続ける文化に終始する。ライターにはエロの他に書きたいメッセージがあり、それを表現する手段として、いわゆる本や漫画に頼るのではなく、ギャルゲーを一つの媒体として語るのである。
 そしてギャルゲーはいつしか種類を増やし、活発に議論がなされるようになった。矛盾に思われるかもしれないが、名作と謂われが高い作品の特徴として、エロシーンがとても少なく、おまけとして付随されただけに見える。
 Keyは「CLANNAD」で、同人業界では「ひぐらしのなく頃に」で18禁からの脱却を図った。こうしてギャルゲーは必ずしもエロが必要ではないということが証明されたが、最近ではリトルバスターズのエクスタシー回帰現象も記憶に新しい。
 そしてギャルゲー市場を見てみると、プレイヤーの間で名作と呼ばれている作品群とは別に、いわゆる「抜きゲー」(性的欲求を満たすための要素に重点が置かれる作品)と称される作品も種類を豊富にし、そのレベルを上げてきている。ただしそれらの作品は、以下のサイトでも語られるように、抜きゲーは単に「抜けたかどうか」で語られることが多く、批評の場に上がってこない。
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-2328.html

 「抜きゲー」は別に語らなくても良いというような風潮もある。しかし、良作には良作である秘訣があるはずだ。当然イラストの美麗さというのも小説と違って肝心になってくるが、人を興奮させるための文章というのも研究に値するのではなかろうか。もうすこし議論が活発になっても良さそうな気がする。
 そしてこれらの構造は戦前から戦後にかけて行われていた本格探偵小説と変格探偵小説の争いに酷似している。変格探偵小説は、歴史を辿れば本格探偵小説から分岐したものであるが、戦前当時江戸川乱歩を筆頭に大量量産されていたのは変格探偵モノであって、本格探偵小説はなかなか生まれなかった。戦後になってようやく横溝正史が取りかかり、鮎川などの作家が生まれていったのである。
 しかしそれでも時代を風靡したのは松本清張以下「社会派ミステリー」陣だった。彼らはミステリーという小説技法を使って社会の構造解体を試みた。ミステリーをミステリーだけで楽しむのではなく、そこに何らかのメッセージを載せたのである。
 島田荘司が発起人となった新本格ミステリーの流行後、現在は再びメフィスト賞を軸として変格ミステリーが流行り、他のジャンルと融合して様々な作家が様々な作品を書いているという現状である。

 さて、ミステリーの話はこれくらいにして本題に戻そう。
 変格探偵小説をエロの少ない泣きゲーなり「Fate」や「最果てのイマ」のようなセカイ系とし、本格探偵小説をエロ本来の抜きゲーと置き換えた場合、両者の辿った歴史がなんとなく似ているような気がしなくはないだろうか。
 異なる点といえば、本格ミステリーには少なからず大勢のファンがいて、躍起になって作品を読みあさり、それぞれ評価しているのに対し、エロゲーの方はなんとなく萎縮してしまうのである。その原因として、エロゲーの方が作品の流行り廃りが早いことがあり、市場がとても狭いことが挙げられるだろう。

 しかし、今こそ本格モノたる「抜きゲー」を見直すべきではなかろうか。ここではそんな「抜きゲー」の状況設定について語ってみたい。

 アトリエかぐやは「抜きゲー」の最たるブランドである。「幼なじみと甘〜くエッチに過ごす方法」という作品があるが、このメインヒロインである涼風あすかには珍しく主観描写が存在する。普通であればずっと主人公の文章が続くのだが、このゲームでは時々主観が変化して彼女に移るのである。そして、このゲームは登場するヒロインが三人もいるが、主観描写があるのは涼風あすかただ一人だ。これは、彼女の心理変化が作品で大きな意味を担っているからだ。
 
 涼風あすかは主人公と幼なじみで、ずっと暮らしているが故に告白もできず、しかしそれでも平穏な日々を送っていたが、ある時主人公には他にも幼なじみが複数いて、自分が主人公にとって特別な存在では決してないことを悟ってしまうのである。
 勝ち気な性格の彼女は敵の二人に負けたくない一心で主人公に近づいていく。勝負に勝つためには、今まで単なる幼なじみだった主人公との関係を一歩進め、性的な関係という特別な関係で結ばないといけない。羞恥心を打破していく涙ぐましい努力を彼女は行う。最初は戸惑い、ツンデレであるが故に主人公にきつく当たっていたが、次第に彼との距離は近づいていき、要らぬプライドや羞恥心は消え去っていき、意識の内面に潜んでいた主人公を想う気持ちは、まさに性交と言う行為を通じて引き出されたのである。ここに、エロゲのヒロインがいつも蔑ろにされていた、主人公を好きだという感情の経緯・深淵が見事に描かれているのである。そしてプレイヤーは詳細に描き出された涼風あすかの愛情を擬似的に受け止め、より気分を高揚させることができるのである。これは「抜きゲー」であるからこその心理描写であり、ジャンルを最大限活かした傑作だと自分は考える。

もちろん、Choco chip氏のイラストが優れているということもこの作品が評価された原因ではある。しかし優れた抜きゲーにも、このように内容的に優れた箇所があり、それらを見つけていくこともまた一興かなと考えた次第だ。